若者から見た「ズレ」への共感について―現代日本の様々な矛盾点を考えてみる―Ⅶ
古代エジプトからある「近頃の若いもんは・・」
私は「近頃の若いもんは・・・」という言葉は、今まで使わずに生きてきたと思っているし、実際そんな風に思ったこともありません。また「女って奴は・・・」といった考え方もしていないつもりです。
つまり、ジェネレーションや性別で何かを決めつけるというのは、もともと性に合わないので、そういう思考や行動は選んでいないと思っています。(とはいえ、身近な人たちの証言では「えー、それって違うんじゃないですかぁー」なんてね。まあ、どう言われちゃうのかわかりませんが・・・)
時代の変遷が激しい中、デジタル系の操作など、何かと事務所の若いスタッフに頼る場面も増えており、彼らに教えてもらったり手伝ってもらうことも多いのです。そんなこんなで、常に若い彼らには感謝しているのであります。
よく使われる事例として、古代エジプトの文書にも「近頃の若いもんは・・・」という表現が出てくるといいます。つまり、いつの時代もジェネレーション間の対立というか、理解し合えない溝というのは存在したことになるようです。
冒頭に書いたように、私自身はジェネレーションギャップというものはあまり気にしていないし、そこでひどく悩んだという経験もありません。つまり、ここの部分において、彼らにこちらから苦言を呈するということはそんなにしてこなかったつもりです。
いったい意識高い系って・・・
さて、前置きが長くなってしまいました。とまあ、そんな私ですが、近年少し気がついたことがあります。それは世間でよく言われている「意識高い系」というのはこういうことを指すのか、ということなのです。
年配の人に向かって「こいつ意識高い系だな。」と思うことはないだろうし、そういう使い方はしないはずです。ということは、「意識高い系」というのは、ある程度若い世代に向かって発せられる言葉だろうと思います。
そこで、近年出会った或る若者たちのことを思い出しました。それは、行きつけのバーカウンター、つまり、酒の席で何回か経験したのですが、たまたま話をした隣の席の若い男性がこんなことを言っていたのです。
「僕は仕事ができる方なので、職場ではちょっと浮いた存在なんですよ。他がついてこれないというか、理解が追い付かないというか・・・」
また、こんな若者もいました。
「僕の場合、ちょっと優秀過ぎるんで、上司とどうも馬が合わなくて・・・仕方がないので、仕事、いつも勝手に進めちゃっているんですけど。」
さらに転職したという若者はこんなことを言っていました。
「あのまま、組織に残っていれば、今頃役職とかにも就いていたでしょうし、年収もかなり上がっていたとは思います。まあ、今の仕事がやりたかったので・・・」
フムフムなるほど、と聞いてはいましたが、少し驚いた覚えがあります。「えっ、自分からこんなこと言うんだ!」と。
いずれも確か30代くらいの年齢でした。そんな彼らの発言を聞きながら、自分の30代の頃を思い出してみました。
『俺はとてもあんなことは言えなかったなあ・・・。全然自信もなかったし、実際そんなに仕事もできなかったしなあ。』と心の中で思います。別に謙虚なわけでも何でもありません。実際、その通りだったから仕方のない話です。
あの頃、どっかで虚勢を張らなくちゃならない場面があったとして、ああいうセリフを発することができただろうか、と思うと、『いやいやとても無理だ。』という結論しか出てきません。
ホントかなあ・・という疑問
近年よく聞く「意識高い系・・」という言葉って、先に紹介したような若者たちを指すのでしょうか? 「謙虚」というのは人間の大事な資質の一つだとは思うけれど、ここではあえてそれは言いません。
まあ、それにしても「意識高い系・・」とはよく言ったもので、彼らの発言を聞いていると確かにそんな気がします。それも一人や二人なら、たまたま出会った「こいつ「変な奴」かも知れない。」で済むのでしょうが、結構頻繁に目にするようになると、「今はこれが普通なのか!!」と驚かざるを得ないのです。
そんな彼らの自己評価を聞いても、私は、彼らに対してその場ではもちろん反論などしませんでした。かといって、そういう子たちと話が弾むという流れにもならなかったので、「へぇー、そうなんだ。たいしたもんだね。」くらいで、やり過ごしたような気がします。
ただ、であります。ただ、私が思うのは「それってどうなんだろう?」ということなのです。本当に仕事ができる奴が、なんの関係もない場で「俺って仕事ができ過ぎるんですよね。」などと言うでしょうか?
まあ、確認のしようもないし確認しようとも思わないけれど、どちらかといえば「ほんとかなあ?!?」という気分にならざるを得ません。もちろん本当かも知れないから、頭から全面否定するつもりもないのですが。
「粋の境地高い系」の飲み手になってくれよ
私が思うのは、『酒場でたまたま隣り合わせになった我々は、今この時点で、どれだけ自身の発する話が面白いか、どれだけキャラが魅力的かで勝負するしかない。その究極の時間的空間的制限の中において、確認のしようのない自慢話っていうのは粋ではないし、実につまらない。』ということなのであります。
キャバクラ辺りで「キャー、仕事ができる人ってステキ!!」とほめ殺されて悦に入っていられるようなユルい場ではないのです。シビアなようですが、それがバーカウンターにおける変えようのない掟(おきて)でもあります。
「意識高い系」の若者が、どういう時代背景から出現したのか私にはわかりません。まさに彼らの「意識」そのものが、どうにも理解できないのです。かといって、目くじら立てて苦言を呈する気もありませんが。
ただ、酒の席での振る舞いについては、もう少し違う緊張感を持った方がいいんじゃないか、と思うのです。仕事の話、しかも自慢話をまるで職場の延長戦のように、酒場に持ち込んでも粋ではない気がします。
尤もこれは、私の行きつけのバーカウンターに限ったことかも知れません。彼らに出会ったのがそんなバーだったので、あえて、こんな提言をする次第であります。まあ、彼らもそんな「人生の勉強机」みたいなバーカウンターにやって来る人種なのだから、そのうち私の言いたいことも理解するだろうと思いますけど。
繰り返しになりますが、自慢話系というのは例えそれが本当であっても、粋でないしつまらないのです。酒場で「男」を魅せるのは容易なことではありません。修業が必要なのです。
私がその実態についてよく知らない「意識高い系」の若者たちが、そこのところを脱却して、「粋の境地高い系」の飲み手になってくれれば、と思います。まあ、おじさんの余計なお世話かも知れませんが。
緊張のバーカウンターなのだ
追記:いつも読んでいただきありがとうございます。
まあこの通り、いささかユニークな税理士です。
「こんなこと、相談しても大丈夫だろうか?」
といった、我々の専門外のお話についても、
構いませんので一度持ち込んでみてください。
普通、税理士が受けないようなご相談にも、
かなり幅広く対応いたします。
なにかしらヒントになるような
ご解答はお示しできると思います。
ご縁をいただければ幸いです。