青春の彷徨、新宿ゴールデン街―無頼に生きる、がテーマだったあの頃―Ⅰ
東京出張の行きかえり、羽田空港で靴を磨いてもらっていることは、以前にもこのコラムで書いたことがある。以前は、チェーン店の靴磨き会社の経営だったのが、近年、別の組織に替わってその形態もやや違うものになった。
しょっちゅう磨いてもらう私は、以前のチェーン店のときは、お得な回数券綴りを買って利用していた。そんな回数券制度もなくなり、磨き賃もかなり上がったが、プロの技術を信頼し、引き続き利用していたのである。
ただ、店の開業時間が夕方5時までということと、日曜日が休みということで、この数カ月は立ち寄ることが叶わなかった。しかし、先日久しぶりに早い時間にチケットが取れたので、磨いてもらおうと考えていた靴を履いてその店を訪れたのである。
飛行機を降りて長いエスカレーターを下り、店の前に近づくと、中に一人客がいて磨いてもらっていた。店の前にロン毛で細身の若者が立っている。彼が客なのか店のスタッフなのかがわからない。
私は「店の人?」と尋ねた。彼は、にこりともせずに「はい。」とうなずく。「磨いてもらいたいんだけど。」と私。彼は、やはりにこりともせずに「こちらにどうぞ。」と店の奥の席に私を促した。
と、ここで私は少し迷った。以前のチェーン店と違って、今度の新しい店では靴を脱いでカウンターで磨くやり方も採用していたからだ。前回は、カウンターで磨くスタッフと靴の話などしながらしばし楽しい時間を過ごした。
『あれっ?今日は履いたままの以前の形で磨くのかな?』私の中で少し疑問がわいたのだが、彼が促すので私は席に座った。「このまま磨くの?」と聞くと「はいそうです。」とただ答えるだけで、客である私がやや戸惑い気味なのに気付こうともしない。仕方がないのでそのまま磨いてもらった。
しばらく彼の磨く様子を見ていたが、私の方から話しかけた。「このあいだ、うっかり日曜日に寄っちゃってさ。みごとに振られちゃったよ。」と、前回磨きそこなったことなど話題を振ってみた。彼は「はあ。」とにべもない。
私は黙って彼が磨き終わるのを見ていた。そうすると、どうもこれまでの他のスタッフのときより、少し早めに終わったような気がしたが、とにかく彼が「終わりました。」というので私は席を立った。今回、前回からはちょっと間があいたのだが、その間に料金もかなり値上がりしていた。
私はお金を払い、磨いてもらった靴を脱いで、キャリーバッグに入れてきたスニーカーに履き替えた。磨いてもらったばかりの革靴は布の袋に入れて鞄にしまった。
と、このときである。靴を履き替える一連の作業をしながら、急に今回のやり取りが、私にはどうにも我慢できなくなった。
私はこうやって、磨いたばかりの靴を丁寧に扱っている。(多少、変かも知れませんが・・・)磨いてくれた彼は、もうこっちを見向きもせずに、背中を向けたままなにやら片付けのようなことをやっていた。
鞄に靴をしまい終えた私は、彼の背中に語り掛けた。
「ねえ、お兄さん。」
彼はハッとしたようにこっちを振り返る。「え?」という顔をしている。
私は言葉を続けた。
「ねえお兄さん、あんた、この仕事楽しい?」
彼は戸惑い気味に「は、はあ、まあ・・」と答える。
私はさらに言葉を続けた。
「だったらさあ、せっかく靴好きが集まるこの店をやっているんだから、もう少し愛想よくしたら。」
それだけ言って、私はくるりと背中を向けて店を離れた。
彼は小さく「す、すみません・・・」と言ったような気がしたが、はっきりとは聞こえなかった。いきなりこんなことを言われて、相当戸惑ったことは確かだろう。私は終始にこやかに一連の言葉を伝えたつもりだったが、彼はどうとらえただろうか。
これからも、大事な靴はプロに磨いてもらいたいと思っているので、また、あの店には立ち寄ることだろう。そのとき彼は多少なりとも変貌しているだろうか。私に気がついたら彼はどんな反応をするだろう。
彼の仕事の場合、プロたるゆえんは、接客の態度も含めてのことだと思う。彼が変わっていなかったら、私はまたなんか言うだろうな、きっと。
磨いたばかりの靴は気持ちいい