あらゆるものが端末になる世界―競争はアプリからボットへ―Ⅲ(おしまい)
[処理業務で手いっぱい]
父がトップだった頃、習慣化していた「赤書き」という手作業。
その問題点を私は次のように分析しました。
①『赤書き』は以前から、そうするように、と言われていたのでただ続けていた。
②2期比較決算書の存在は知っていたが、『赤書き』は別のことと解釈し黙っていた。
③2期比較決算書があるので『赤書き』が変だとは思っていたが、余計なことと思い黙っていた。
④2期比較決算書と『赤書き』がそんな関係にあるとは思いつきもしなかった。
⑤そもそもそんなことは考えたこともなかった。
私はここで問題と思うのは①④⑤になります。
つまり、現在取り組んでいる仕事に何の疑問も工夫も考えていないことになる訳です。
そう命じられて昔からそんな風にやっていたからただ続けている、と。
特に④と⑤は始末に悪い。
④2期比較決算書と『赤書き』がそんな関係にあるとは思いつきもしなかった。
⑤そもそもそんなことは考えたこともなかった。
これは完全な思考停止状態であります。
父の時代、事務所の職員は
「わからないことは俺に聞け。余計なことは考えるな。手を出すな。」
という中で仕事に取り組んでいました。
私はこれが悪かった、とは思っていません。
私が田舎に帰る前まで、税務で手いっぱいだった事務所ではその方針で充分仕事はまわり忙しかったからです。
コンピュータの導入も、データ分析や情報管理というよりも、税務処理の仕事をいかにサポートするかという点にかかっていました。
処理業務が手いっぱいで、データを分析し高度利用していくなどという発想は、それほどなかったと思います。
しかし、私が田舎に帰り、父の事務所に入った頃は、明らかに世の中の状況は変化していました。
町中の商工業はすっかり廃れ、経済成長の息吹など微塵も感じられない時代に突入していたのです。
処理業務で手いっぱい
つづく