もったいないよな~この景色―海のロケーションと日本文化を考える―Ⅱ
[異常なほど変化という行動の失敗を恐れる日本人]
さて、今回私が書きたいのは、イチかバチかを選ぶアメリカ人のそんな特性についてではありません。
そうではなく、ケント・ギルバート氏が指摘する日本人の方のマインドについて考えてみたいと思っています。
ケント氏が、
「私に言わせれば異常なほど、変化という行動の失敗を恐れる。」
と指摘する日本人の特性についてなのです。
何故ならば、この指摘こそが今の日本の最も大きな問題、と私も考えるからにほかなりません。
確かに、小は町内会のような規模から、大は国家運営に関わるようなレベルに至るまで、日本人は極めて保守的です。
というより、ここでは「保守、革新」という言葉自体あまり意味を持ちません。
むしろ「現状維持と変化」と言った方が妥当なのではないでしょうか。
私は今、日本の中で起こっているもっとも熾烈な戦いは、この「現状維持と変化容認」の戦いではないか、と思っているのです。
これが大きな課題になることそのものが、ケント氏のような外国人からは不思議な現象に見えるのでしょう。
当然変えるべき時であり、変えるべき事態に直面しているのに変えようとしない・・・
これは果たして「農耕民族」と言われる日本人の昔から変わらない特徴なのでしょうか。
ただ、私などは、そんな批評的なことばかりも言っていられない現実を日々実感しています。
ケント・ギルバート氏の言う
「だから不都合は、取り返しがつかない規模にまで膨らむ。」
という指摘は、随所で当たりつつあるような気がします。
この不都合はいったいどこまで行くのだろう?と考えただけで恐ろしい、という現象はいろいろと思いつきます。
この空のように見通しは明るくないなあ・・・・
つづく