青春の彷徨、新宿ゴールデン街―無頼に生きる、がテーマだったあの頃―Ⅰ
毎週配信されてくるメルマガに面白いコラムがありました。
書き手は中国人元実業家の宋文洲氏です。
タイトルは「自信のある人とは」と、なっています。
それは以下のような書き出しでした。
― 富裕層向けの老人ホームを経営している友人から聞きましたが、老人ホームに入居しても大手企業の社長を経験した老人たちの多くは「○○元社長」の名刺を持つと言うのです。
老人ホームの活動の中の自己紹介も「○○元社長の□□です」と言うそうです。―
なんだか悲しい男の性(さが)であります。
ただこれは、私自身も、向き合い考えてきたそれなりに大きなテーマでもあるのです。
「肩書」の背景には必ず「人事」というものがあります。
人事に対する男社会の関心の深さは滑稽なくらいです。
このテーマについても私は何回かこのブログで書いてきました。
人事というのは、人がそれまで関わってきたビジネス社会における成績表みたいなものなのでしょうか。
ほぼ男性中心の、日本におけるビジネス社会では、肩書というものは人事を勝ち得てきた勲章みたいなものなのだろうと思います。
なんだか他人事みたいな書き方をしていますが、何回も書いてきたように私は人事に対する興味がほとんどありません。
そういう意味では私のマインドは女性的なのかも知れないとも思います。
というより、独立系マインドなのだろうと思うのです。(いい意味でも悪い意味でも)
ただ、案の定というかやはりというか、上記のような老人には悲しい結果が待っています。
宗氏は次のように書いていました。
― しかし、ご本人は知らないかもしれませんが、老人ホーム経営している友人の話によると「元社長の名刺を持つ老人はだいたいつまらない人で老人ホームでは人気がない」と言うのです。―
まあ、そうなるわなあ、と納得がいきます。
で、私はどうなりたいかというと上記のような爺さんにはなりたくありません。
愉快でハッピーに過ごしたいのです。
まあ、もともと上場企業の社長でも何でもないから、そんなに心配しなくてもいいのだろうけれど、税理士のような資格業も似たような結果になりかねない危険をはらんでいます。
いわゆる「先生業」という奴は、本人の努力で獲得するものであって、人事の果てに手に入れるものではありません。
しかし、資格を取った後はチヤホヤされる場面も少なくないことも事実です。
中には勘違いする御仁も出てこないとは言えないのです。
更に、業界内での人事という奴もあります。
企業内ほどシビアでなくても、その拘りは相当なものです。
当然、トップへと登りつめた人は上記のような悲しい状況に陥らないとも限らないのではないでしょうか。
気をつけなければならないところです。
人生の黄昏が本当に黄昏ちゃあいけないなあ・・・・
つづく