10年後に無くなる職業Ⅰ
[親を重たいと感じる時]
よく「母親の愛は、空よりも広く海よりも深い。」的な言葉を目にします。
これは「母の愛とはそんなものだ。」というよりも「そうあって欲しい。」という願望の表れであろうと思います。
そうとでも解釈しなければ納得できないような事実を最近特によく見聞きするのです。
確かに人間の数だけその母親は存在する(当り前の話だが・・)のであって、そのすべてが善意や慈しみに溢れている訳がないことは、少し考えれば容易に察しがつくはずです。
にもかかわらず、冒頭のように母性を神聖化したような表現がしばしば使われます。
特に日本においてはそうであろうと思います。
何故こんなことを書くかというと、近年新聞の人生相談欄など見ていると、母親と子供の確執、中でも娘との確執を取り上げている割合が多い印象を受けるからです。
いうまでもなくこれらの相談は、娘からの悲痛な訴えが圧倒的に多いようです。
そんなことを考えていたら、先日、読売新聞のくらし欄に「母の不満聞かされる娘」というタイトルの特集が組まれていました。
私が気になっていた現象は、私が気付いていただけではなく、実際ある種の社会現象として顕在化していたのです。
親を重たいと感じる時」をテーマにした投稿には、母親の不満を聞かされ続ける娘たちの声が目立ちます。
子どもには大きな精神的負担となっているようです。―
という書き出しで記事は始まります。
ここにいう母の不満といのは、そのほとんどが夫に対するものでありそれが圧倒的に多いようです。
つまり、娘にとっては父親の悪口をずっと聞かされるわけで、このことが長期化すれば、娘にとってはたまったもんではないだろうと察しがつきます。
で、実際長期化していることが多いようです。
娘が反抗期なりで、父親に反発を感じるのは普通に起こることです。
しかしそれが、母親の気持ちと同調するかどうかはまた別の話でありましょう。
反抗期は時間が経てば卒業しますが、母親の夫に対する悪口は延々と続くのです。
これは読売新聞の特集にコメントを寄せたカウンセラーによれば
― 母は「こんなひどい目に遭っていると訴えることで、娘が自分の味方となるようにコントロールする。
「母に満たされない思いがあり、娘を通して解消しようとする典型的なパターン」―
ということらしいのです。
つづく