2つの結婚披露宴―悪いことしちゃったなあ・・・遠い昔のほろ苦き思ひで―Ⅱ(おしまい)
以前、このコラムで「本を読むことについて」という題材で、本を読んだり、勉強したり、知識をつけるということについて、一般的な見解とは異なる観点からの考え方を紹介しました。
それは経営コンサルタントの牟田學氏が書かれた「社長のいき方」という本の「『独自性』こそ繁栄の原点」というテーマの項で書かれていた見解でした。
ここで牟田氏は、自分で本を書き起こすとき他の本は全く読まないようにしたことを述べておられたのです。
つまり、オリジナリティーを発揮しなければならない場面では、創造力こそが大切で、模倣や真似事からは新しいものは生まれない、と書かれていたのです。
通常、我々が本を書き起こすとき多くの文献にあたります。
それはほとんどの場合、本の内容をまとめ上げるプロセスにおいて、先人の優れた智慧を紹介したり、記述に正確性を期すためであります。
しかし、自分の体験した独自のノウハウや、その体験から学んだエッセンスを紹介するときは、他の書籍に書かれた情報は邪魔になるというのです。
つまり、自らのオリジナリティーが失われると書かれていました。
これは私にとって、全く新しい見解でした。
とはいえ、考えてみれば我々実務家が書くのは学術論文ではないので牟田氏の意見はとても参考になったのです。
ただ、その牟田氏が、同じ著作の中で読書の重要性についても述べておられたのが面白いと思いました。
同じ「社長のいき方」の中の「社長にとって『読書は進歩の母』である」という項で、次のように述べておられます。
― 社長業には勉強が欠かせない。一生涯が勉強である。
その中でも「読書は進歩の母」だとよくいわれている。だから、本を読まない人は進歩を放棄していることになる。―
これは、今までもよく言われてきたことなので、全くその通りだと思うのですが、先述の見解とはやや矛盾しているようにも見えます。
「独自性」について述べられた部分では、全く逆のことを言われていたのではないかと感じるのです。
しかし、この点は次の記述でその意味が理解されるのです。
― 何事か迷った時、問題に直面した時に、解決する方法はたくさんあるが、過去に読んだ本に判断を委ねたり、影響を受けていることは非常に多い。―
なるほど、現在進行中の現実に、何か問題が起こったり、障害が現れたりしたときには、それまで蓄積した知識や先人の智恵が役立つことが多いということでしょう。
こういった、なにか問題が起こったときに対処するには、オリジナルなものを生み出す作業とは異なったアプローチが必要だからと思われるのです。
さて、こうやって読書について考察してくると、改めて様々な発見があります。
経営者たるもの自らの進歩のためには、知識や知恵のインプットである読書は普段から欠かすことはできません。
この普段のインプットの努力が、何か迷ったり問題に直面したときの解決策を示してくれることが多いからです。
つまり、起こってしまった問題解決のために判断をしたり、何か処理をしなければならないときは、持っている知識や知恵の引き出しの多さがものを言います。
あれこれ迷って時間をかけるよりは、先達の智恵を借りて早期に処理を済ませた方が効率もいいのです。
また、効率だけではなく、本質的な解決に近づく可能性も高いといえましょう。
ところが、何か新しいものを生み出す、という作業になると事情が変わってきます。
引き出しの多さはもちろん大切ではありますが、それ以上に重要なのはどれだけ深く理解しているかということです。
独自性やオリジナリティーは、知識の幅の広さよりも本質的な理解の深さから出てくるものだからです。
そういう意味では「読書」というものは、ただやみくもに向き合うのではなく「使い分け」が大切なのだろうと思います。
そこが、学生や一般サラリーマンと違って経営者の難しいところなのです。
事務所の本棚。税務や会計以外にも実に様々な本が並んでいます。