若者から見た「ズレ」への共感について―現代日本の様々な矛盾点を考えてみる―Ⅺ
[特別な場ではないディズニーランド]
1980年代から90年代、東京に住んでいた私たち家族は、かなりの回数ディズニーランドには通いました。
その後家族で鹿児島に移り住んだのですが、再び大学進学で東京に居を移した子供たちは、自分たちだけでももっと何回も行ったはずです。
うちの子供たちから世代からあとの子たちにとってディズニーランドは、ただひたすら楽しむもので、取り立てて「特別感」はないのだろうと思います。
つまり、男子だけでディズニーランドへ繰り出す彼らにとって、そこは何の「手段」でもないのです。
ただ普通に自分たちが楽しむ場所なのでしょう。
こういった極当たり前のことが極当たり前になったというだけのことなのだろう・・・・と思います。
が、やはり「男子会」というのは私たち世代からはやや違和感が否めません。
何故でしょうか?
それは、「ディズニーランドイコールファミリー或いはカップル」というイメージが刷り込まれているからでしょう。
まあ、若かったとしても私たち世代が男の子だけでディズニーランドに行くことはなかっただろうと思います。
まあ、今思い出してみれば、私達の若い頃は、何とかして女の子と親しくなることに全力を挙げていました。
そのために他のいろんなことは、すべて「手段」に過ぎなかったのです。
[晴れ舞台のデート]
大学時代、徹夜麻雀などに明け暮れていたら、ある朝雀荘に友人の一人が飛び込んできました。
デートをするのに奮発してスリーピースを買ったのはいいが、ネクタイの結び方がわからないというのです。
まだ朝も早いし、誰に聞けばいいのか困っていたら、私達がきっと雀荘にいるだろうと思いついたということでした。(まあ、その通りだった訳です。)
と言われても、ネクタイの締め方なんぞこっちだってよくわかりません。
あーでもない、こーでもない、と友人の首をネクタイでギュウギュウ締め回したのを覚えています。
当時は、デートのためにそれまで着たこともないスーツを買っちゃうなんて馬鹿げたこともやっていたのです。
その後、その友人がデート相手の女の子とうまくいったなんて話は聞かなかったなあ・・・
今年もクリスマスがやってくるなあ・・・・