歴史の虚妄について考える―フィクションとしての歴史に向き合う―Ⅴ(おしまい)
自治体が手入れを怠らない街角の花々、人々の間に普及したガーデニング、それにもう一つ、私が「豊かになったなあ」と思う現象は「ハロウィン」です。
10月に入り、様々なグッズなどを街のショップなど手見かけるようになりました。
10月も終わりに近づくと、様々な奇抜な格好をした若者が街にあふれだします。
そして、10月31日には、東京などの都市部では、この奇抜な格好をした大勢の若者が狂気のようなバカ騒ぎに突入していきます。
近年は都会だけでなく、地方都市、田舎に至るまで「ハロウィンを楽しもう!」といった風潮になってきているようです。
「ハロウィン」というキリスト教の一つの催事であったものが、日本ではアレンジされ、盛大な「仮想パーティー」に姿を変えてしまったようです。
私の家族も子供たちがまだ小さかった頃、手作りの黒いマントや厚紙で作ったとんがり帽子などでささやかな仮装をさせて楽しんだりしていました。
それがこんな大きな騒ぎに発展していくとは思いもしませんでした。
催事というのは、それを楽しもうが楽しむまいがその人の勝手です。
どうしてもそれをやらなければならない、というものではありません。
そのいわば、どっちでもいい行事をここまで楽しむようになった、というのは、経済的社会的な余裕の産物、いろいろな意味で豊かになった証拠と言えましょう。
我が家の子供たちの頃と違って、本格的なコスプレには時間も手間も随分かかっているようです。
これは単なるブームではなく、一定程度、定着していくことでしょう。
つづく