若者から見た「ズレ」への共感について―現代日本の様々な矛盾点を考えてみる―Ⅺ
世の中が、既存の仕組みの中で既存の構成メンバーによってはなかなか変えられない、となると、その変革への期待がどうしても若い人に向けられます。
その点についても古市氏は、次のように一刀両断していました。
― 社会を変えられるのは「若者」ではなくて「おじさん」だ。
「おじさん」のほうが、若者よりも人脈もお金も経験も、あらゆるリソースを多く持っている。
それなのに、自分は安全圏にいて「若者」が社会を変えてくれると勝手に期待するのは、あまりにも都合が良すぎる。
よくカネを出しても口を出さないのが一番いいというが、口だけ出して金を出さないのが一番よくない。―
耳の痛い指摘ではないだろうか。
普通「おじさん」は、既得権をなかなか離そうとはしません。
自分は「既得権」を固く保持した中で、「若者」にだけ「お前ら頑張れよ。」というのは卑怯ではないか、と言われているのです。
もっともな意見、と言わざるを得ません。
先日、ある法事の席で、私よりかなり年配の方が
「最近年金を減らされて年間300万円台になってしまった。」
とぼやいていました。
私の年金を調べてみたら、その人の半分どころか3分の1にも達していませんでした。
「それくらい我慢しろよ!」
と、心の中で思ったものです。
私の世代くらいまではともかく、今の若い世代は、更に少ないのではないでしょうか。
つづく