突破できるのか、業界の常識というハードル―業界の常識は世間の非常識??―Ⅰ
あまりにこの店長さんの表情がこわばっているので、私はなんだか気の毒になって、
「すみません。お呼びたてしまして。祖母は久しぶりに外出したのですが、ここのお蕎麦がとても美味しかったのでお礼を申し上げたいそうです。」
と説明してあげました。
男性の顔つきがたちまち安堵の色に変わっていきます。
店長「それはどうもありがとうございます。」
祖母「きょうは、お宅のお蕎麦をとても美味しくいただきました。」
店長「それはようございました。ありがとうございます。」
祖母「ところでご主人。私は『冨士屋飴』(祖母の社名)の者です。」
と祖母が続けます。
店長「はあ?」
祖母「お宅では、うちの飴は取り扱っておられませんか?」
店長「え?は、はい、今のところ…」
私 「あの、祖母は『冨士屋飴』の会長なんですよ。」
と私が店長に耳打ちをしました。
店長「あ、そうなんですか。」
再び店長の顔に軽く緊張感が走りはじめました。
祖母「うちの飴は長い間テレビでも宣伝しているあの商品です。」
店長「は、それはもうよく存じております。」
祖母「もしよかったら、お宅のお店でも是非うちの飴を取り扱っていただけませんか。」
小さいが、毅然とした意思のこもった声である。
店長「わ、わかりました。今度店長会議のとき社長にそう申し伝えておきます。」
祖母「そうですか。ではよろしくお願いします。」
私も
「どうぞよろしくお願いします。」
とお願いして、祖母の車椅子を押し、静かに出口へ向かったのです。
背中に店長が最敬礼している様子が見えるようでした。
支払いを済ませた家内が「どうしたの?」という顔で待っていました。
私は「いや、後で車の中で話すよ。」とそのまま外へ出ました。
祖母が「店長を呼んで来い。」と言った時点でだいたい何をしようとしているか察しはついたが、向こうがあんなに緊張するとは思いませんでした。
それでも祖母はどこ吹く風です。
祖母は車椅子に小さくちんまりと沈み込んだ小柄な老人です。
私たちが車椅子を押してあげなければ1メートルも進めません。
しかしながら、祖母は最後まで現役の経営者でした。
常に猛禽類のようにビジネスチャンスを狙っていたのです。
いつだったか、どこかのドライブインに立ち寄ったときも、棚にあった自社商品を買い占めようとして、同行した私たちを慌てさせたことがあります。
店に対して売れ筋商品に見せるためにサクラになろう、という魂胆でした。
「そんなことしなくても、ここはすごく売れているから大丈夫だよ。」とみんなで説得してやっと止めたのです。
祖母を見ていると「根性が違う!」という古典的フレーズが思い出されてなりません。
祖母は最後まで、その衰えることのない経営者魂で我々を驚かせ続けてくれたのです。
おしまい