青春の彷徨、新宿ゴールデン街―無頼に生きる、がテーマだったあの頃―Ⅰ
「好き嫌い」という言わば感情的な判断基準を、本来極めて理性的であるべき仕事の場に持ち込むのも案外悪くないぞ、と前回書きましたが、こういう「切り替え」は他でも当てはめることができます。
例えば、「人を裏切ってはいけない。」というのは、善悪のいわば絶対的な判断基準に近いものですが、人はしばしばこれを犯してしまいます。そこに強力な歯止めをかけるのに「善悪」の基準だけでは弱い場合があります。そんなことはあまりにも分かりきっているからです。
それではここに、もう少し違った判断基準を入れてみたらどうでしょうか。それは「美醜」という判断基準です。
自分の損得だけで人を裏切ろうとしているとき、はっ、と我に返って「俺は何と醜いことをやろうとしているんだ!実に美しくない!みっともない!」と、激しく自省することは、あり得ないことではありません。それはある意味、正しい正しくないという判断基準を超えたものかも知れません。
「美意識」というものは、相当な影響力を持って、その人の判断を左右させます。高い美意識を持つこと自体、美しい生き方そのものに繋がるというのは腑に落ちる話です。
まあこんな風に、ときどき自らの判断基準手どうなんだろう?と考えるのはそれなりに意義のあることではないか、とお勧めする次第です。
おしまい