自閉症に対する無理解が引き起こした悲劇 「彼女の名はサビーヌ」
(ここから読まれる方は、是非昨日の記事からお読みください)
ある時、私のもとに発達障碍児の保護者が浮かぬ顔をして相談に来られました。小さいころから一生懸命子供のために力を尽くしてこられたお母さんでした。「先生、これまでずっと知人から『自閉症の方はびっくりするような天才的な能力を持っている、とテレビで見たわ。あなたも息子さんの隠れた才能を見つけ出してあげれば』と言われて、自分なりに様々な分野の教育や活動に子供を通わせました。でもどうしても息子の才能を見つけ出してあげることができないのです」言われます。
ああそうか、このお母さんや知人の方はテレビで天才的な能力を示される「発達障害」の方を見て、「発達障害=天才」と思い込んだのだな、と思い、「お母さん、確かに一部の自閉症の方の中には天才的な能力を持たれる方がいらっしゃるのは事実です。ですが、それはごくごく一部の方のことで、私のお会いした発達障害児・者のほとんどの方は特別な才能をお持ちではなかったですし、仮にあってもテレビで紹介されるような才能では有りませんでした」とお伝えしました。
するとお母さんはほっとした表情をお見せになり「そうなんですか。ほっとしました。私はテレビで特集を見るたびに発達障害=天才的な一面を持っている人と思っていました。だから親せきから『早く子供の才能を見つけてあげないと』と言われすごくプレッシャーになって、見つけてあげられない自分をダメな母親だと責め続けてきたのです。今の話を聞いて本当にほっとしました。」と言われました。
テレビで天才的な能力をお持ちの発達障碍児・者の特集を見るにつけ、このお母さんの言葉が思い出されます。確かに素晴らしい才能を開花されて社会へ貢献されている方もたくさんいらっしゃいますが、みんながみんなそんなわけではない、それこそ多様なのだ、と思うのですが、いかがでしょうか。