自閉症に対する無理解が引き起こした悲劇 「彼女の名はサビーヌ」
発達障害、特に自閉スペクトラム症と呼ばれる子どもたちと関わる中で最近私が感じていることを言葉にして見ます。先に結論から言うと、彼らの特徴として「平面の世界に生きている」のではないか、ということなのです。
これは以前私が読んだ本「自閉症の現象学」(村上靖彦 勁草書房 2008 )の中でも取り上げられ、私もそうだよな、そうなんだよな、と納得する点なのです。この本の第4章 「平らな空間 奥行の起源について」の中で、“多くの人は方向性を持ち、奥行のある空間の中を生きている。ところが自閉症児の空間は、奥行を持たない”と語られていることがヒントになりました。
そういう目で他の本を読んでみると、例えば、ガーランド『ずっと「普通」になりたかった。』ニキリンコ訳 花風社 2000)の中からガーランドさんはこう言われています。“私のものを見る仕方には特別なところがあった。私の視覚はどちらかというと平面的で、ある意味二次元的なのだった(・・・・)世界は写真のように見えていた”
なるほど、確かにそうなのかもしれません。彼らと接していて、私は彼らが視覚的な見え方だけではなく、彼らの世界そのものが平面的であるような気がしています。つまり世界の裏にある奥行き感というものがない。これはたとえば対人関係で言えば、表面に見えている相手の表情の裏に、もしかしたら別の感情が潜んでいるのではないか、ということを感じられない、ということにつながります。
同様に、文章や言葉を表面の字義的な理解の仕方しかできない、という彼らの特徴にもつながっていきます。勿論ガーランドの言う写真的な世界や写真記憶というようなことにもつながってくるのです。
「奥行のない世界」「平面の世界」それは現代のインターネットの世界でもあります。まだ十分にまとめられてはいないのですが、自閉的な世界というものと現代社会というものは何かしら共通するところがあるのかもしれない、となんとなく考えている今日この頃です。ではどういう関わりが彼らにとってわかりやすいのでしょうか?少し考えてみたいと思います。
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