自閉症の青年を草なぎ剛が演じたドラマ「僕の歩く道」
さて、このコラムのタイトル「『発達』を学ぶと子どもの姿が見えなくなる?」はある本にある文章からヒントを得たものです。それは障害児教育(今で言う特別支援教育)の現場で、ある保育所の保母さんがつぶやいた言葉だというのです。
<「発達を学ぶと子どもが見えにくくなる」というのは「○○がいつできる」と言うような事柄だけを知り、できるようになるまでの、目に見えない世界での子どもの大切な変化に、視点が及ばないために出た言葉ではないでしょうか>
<発達を学んだことが、子どもの外にこうあるべきだという物差しを作ることにつながると、子どもをその目で見、追い込んでしまっている自分に、いつかは気づくようになるのです>(「発達の扉」白石正久著)
昨今「発達障害」と言う言葉がとても普及し、理解が進むようになってきました。しかし中には「発達障害」の定義や対応法を丸覚えして、子どもの行動や態度を観察するような姿勢の専門家と言われる人が増えてきているように思います。
定型発達と言われる、多数派の平均的な「発達指標」からずれている少数派の子どもたちが、即「障害」と呼ばれ、規格化された対応マニュアルが瞬時に提案される。
なんだか、ストンと胸に落ちない思いをしているのは私だけでしょうか。
たとえ少し時間がかかっても、目の前の子どもに寄り添い、共感し、「発達のエネルギー」を滞らせている事態をどう解決していけば良いか、ご家族の思いも含めて一緒に考えていきたいと私は思っています。