国会議員らがベタボメ!アスぺルガーの父親が悪戦苦闘の子育て漫画「プロチチ」
「発達」についてのイメージをお聞きするとやはり右肩あがりのグラフのイメージを持たれる方が多いようです。確かに年齢と何ができるか、という結果だけを結んでいけば、そのようなイメージにつながるかもしれません。そのイメージはかなり客観的と言うか、外的な結果だけをもとにしたイメージです。
私は「発達」をもっとその子供本人の自然の成長力と結び付けて考えていきたいと思っています。
ちょうど、植物が芽を出し、葉を茂らせ、最終的には蕾が内側から花開いていくようなイメージです。
植物も人間も生物である限り、自然の・生命力・成長力に内側から突き上げられるように「発達」していくのです。
実は今日、兵庫県のフラワーセンターに行ってきました。園内にはさまざまな花が咲き乱れ、とても色鮮やかな風景が広がっていました。しかし良く見ると花の種類によって、色も違えば花弁の形も違う。また今を盛りと咲いている花もあれば、もうすでに咲き終わった花、これから誇らしく咲き乱れようとする花、さまざまです。
自然と言うのは一様な法則にしたがって寸分たがわず成長をしていくものではありませんよね。同じチューリップでも日向に咲いているチューリップはそろそろ盛りを過ぎようとしているのに、日陰に咲いているチューリップは今から花盛りを迎えようとしています。
ただ、太陽に向かって芽をだし、葉を茂らせ、花を咲かせようとする成長の方向性だけは同じです。
私たち人間も、歩けずしゃべれもしない赤子の段階から、自然に立ちあがり、歩き出し、言葉を発っし成長してく方向性は一様なものがありますが、その時期や経過は皆異なるものです。
「発達」を結果ではなく、生物に備わった「生きるエネルギーの現れ」であると考えることはできないでしょうか?
<続く>
<色々な花が咲いていました>