マナーうんちく話453≪冬来りなば春遠からじ≫
例年のことですが、この時期になると稲が逞しく成長し、緑の絨毯がとても綺麗になります。
区画整理された広々とした水田に、様々な品種の稲が育っていますが、水田ごとに緑の濃さが異なり、それが風になびく度に、緑のグラデーションが何とも言えない趣を放ちます。
「瑞穂の国」の、初秋の田園風景です。
そして新米が楽しみのところですが、油断大敵です。
9月1日は「二百十日」で、9月11日が「二百二十日」です。
「荒日の三大厄日」をご存じでしょうか?
令和5年は9月1日の「二百十日」、9月11日の「二百二十日(にひゃくはつか)」、9月15日の「八朔」の日で、いずれも季節の変わり日を示す「雑節」です。
ちなみに「五節句」は公家や武家に関係が深いのですが、「雑節」は農家の農作業に大きな影響を与えるのが特徴です。
9月の始め頃は稲に穂が付き、いよいよ刈り入れを待つだけになるわけですが、心配なのが台風です。
せっかくの稲穂が暴風や豪雨にあっては台無しです。
だから自然に目を向け、自然に寄り添い、自然を細かに観測し、稲作にとって特に注意する日を特定し、次世代にも伝えたのでしょう。
特に注意しなければいけない、天気が荒れる日を「荒日3大厄日」と名付けたわけですね。さらに詳しく記載しておきます。
〇二百十日⇒立春から数えて210日目に当たり、昔から台風の多い日とされています。※旧暦では一年の始まりは立春です。
〇二百二十日⇒立春から数えて220日目で、この日も台風に見舞われる危険が高い日とされています。※「野分」も結構恐れられていたようです。
〇八朔⇒旧暦の8月の朔日(1日)のことで、新暦では令和5年は9月15日になります。この時期になると稲穂が実り、いよいよ収穫を待つばかりになるので、収穫前の稲穂を神様にお供えし、今年の豊作を祈るわけですね。
そこからいろいろ贈り物をしあう習慣ができ、農民のみならず町人や武家、さらには習い事の世界でも様々な習慣が生まれています。
また稲穂が実る時期は雷も多く、何かと注意が必要な時期です。
ただこの雷は、稲を実らせる不思議な力があると信じられていたようで、雷の事を「稲妻」とも言いますね。
雷の光が稲に当たることで、稲が妊娠して実をつけるわけです。
だから雷が多い年は豊作になると言い伝えられています。
素晴らしい発想だと思います。
昔から日本人は稲作を中心とした農耕文化を築き、自然を崇拝してきました。
そして自然と共生し、繊細な感性が育まれます。
いまでも日本の自慢は四季が織りなす美しい風情ですが、この猛暑で豊かな四季の形式が大きく崩れていきそうになりました。
豊かさや利便性ばかり追い求めてきたせいで、自然破壊が始まり、環境が激変したということです。
「二百十日」や「二百二十日」は、天気があれる特異日ではなくなり、暴風や豪雨が日常になりつつあります。
今回の台風もしかりです。
それも今まで経験したことのない規模になりましたね。
ところで先人は自然に配慮しながら、快適な生活が築けるよう創意工夫を凝らしてきましたが、現代人は科学の力で心地よい生活を謳歌するようになりました。
ここに多くの矛盾が生じたわけです。
例えば暑い日を快適に暮らすためにクーラーに頼ると、それは自然に対し大きな負荷をかけることになり、環境破壊につながります。
原子力しかりです。
しかも原子力は使い方を誤れば、とんでもないことになります。
恐ろしいのは、環境が変われば、人はそれに慣れてしまい、悪循環に陥り、事態がますます深刻化することです。
今がそうではないでしょうか。
日本は世界の人がうらやましがる、美しい自然に恵まれた国で、季節を愛でる豊かな感性を持ち合わせています。
虫の鳴き声に耳を澄ませ、赤や黄色に色づいた紅葉を見て、それを美しいと感じることができる国民です。
環境問題は政治や学校教育も大切ですが、国民一人一人が自覚することが大事です。
二百十日、二百二十日、八朔を機に、いまこそ、みんなで自然との接し方について関心を深めたいものです。
最後になりましたが、この時期の言葉に「「桐一葉」があります。
桐は秋になると、他の落葉樹に比べいち早く紅葉し落葉するので、先人は大きな桐の葉が落ちるのを見て、秋の到来を察したわけです。
そこから小事を見て、将来の大事を予測するという意味で使用されています。
9月の和風月名は「夜長月・長月」ですが、秋の夜長に、今年の夏の異常気象が、10年先、20年先に、どのような大きな変化を生み出すのか、じっくり考えてみるのもいいですね。
目先の儲けや、利便性ばかりの追求では、人類はダメになると思うのですが・・・。