マナーうんちく話622≪世界平和記念日と日本の礼儀作法≫
田舎暮らしは何かと不便な点もありますが、四季折々の山や川の風情は格別です。
まだあります。
空気が澄んでネオンや照明が少ないので夜空がとても綺麗です。
「夏は夜。月の頃はさらなり。」と枕草子に記されていますが、夏の夜空も大変魅力的です。
ただ蛍は年々減少しています。
ちなみに秋の月には中秋と名月といわれるように「美しさ」が感じられますが、夏の月といえば「涼しさ」でしょう。
日中の猛暑からはなれ、心地よい夜風を受けながら夜空を見上げ、心と身体を休ませるのもいいですね。
でもこの厳しい暑さでは昼も夜もクーラーに限りますね。
もうしばらくの辛抱です。
ところで最近はライフスタイルが激変し、西洋化がいたるところで進行しています。
住居もしかりで、日本でもフローリングの洋室が増えてきた気がします。
しかしいくら洋室が増加してきたとはいえ、日本の「和室」は格別です。
明治以前の日本の文化は、中国の影響を多々受けていますが「畳」は日本独自の文化です。
それだけに日本の気候にも、国民性にもマッチしていると思います。
現在のような和室が登場したのは、鎌倉時代から室町時代にかけて現れた書院造が普及してからといわれていますが、江戸時代には一般庶民にも畳が身近な存在になり、新たに「畳屋」「畳職人」などの職業も生まれたようです。
吸湿性、放湿性、抗菌性、浄化作用などなど優れた点は多くありますが、畳の魅力は、なんといっても畳が有している「和の感性」ではないでしょうか。
そして古来より、日本の生活様式に基づいた和室には、日本古来の大変美しい作法が存在します。
「マナーうんちく話」でいろいろ触れていますが、今回は和室における挨拶、特に「目線」に触れてみます。
最近の日常生活ではあまり縁がないと思いますが、和室における挨拶は基本的には「座礼」です。
洋室の挨拶は「立礼」です。
ではこの違いはどこにあるのでしょうか?
西洋の挨拶には親愛や友好を表現する目的がありますが、日本の挨拶には敬意やねぎらいの意味が込められています。
そして日本では《目線の高さ》が身分に大きな影響を与えます。
目線の高い方が、身分が上です。
「上から目線」という言葉がありますね。
自分が相手より上であるかのように、相手を見下したように振る舞うことです。
さらに、貴人や身分の高い人にお目にかかることは「目通り」といいます。
また時代劇でよくみられる光景ですが、家来は座って跪まずきますが、殿様は立って部屋に入ります。
和室に入る際には、立って襖や障子を開けると、中にいる人を上から見下ろすことになるので、襖や障子の開け閉ては座ってするということです。
詳しくは《マナーうんちく話「和室における襖・障子の開け閉て」》を参考にして下さい。
一方西洋の挨拶は「心地よさ」がポイントになります。
偉い人は椅子やソファーに座った状態で挨拶を受けますが、目下の人は立った状態で挨拶します。
なおプライベートシーンでは、女性が部屋に入ってきたら、男性は立ってお迎えすることをお勧めします。
目上の人の場合もそうです。
洋室のソファーには「クッション」がありますが、和室では「座布団」が用意されます。
どちらも同じようなものですが、捉え方が全然違います。
クッションはインテリアの役割とともに、座った時に身体を支え隙間を埋める効果があります。
つまり快適な姿勢が保てるということです。
座布団にも硬い畳に上に座る際に、身体を傷めず快適に座る効果が多々あります。
ただこれだけで作られたわけではありません。
座布団には、相手を敬い、もてなすという目的があります。
だから座り方、降り方などにも厳格な作法が敷かれています。
例えば相手が、敬意ともてなしの気持ちで出してくれた座布団を踏む行為は、せっかくの相手の気持ちを踏みにじってしまうことになるので、座布団は踏まない、動かさないのがマナーです。
畳に由来する和室における作法の一つで、大変古い伝統を有しているわけです。
座礼にせよ、座布団にせよ、平和な社会で生まれた日本の素晴らしい文化です。
西洋文化をおおらかな気持ちで受け入れることに異論はありませんが、自国の文化はそれ以上に大切にしたいといつも思っています。