マナーうんちく話138≪贈り物を渡す時のマナー≫
日本は世界でも非常に贈り物が好きな国民といわれておりますが、昔からとても豊かな「贈答文化」を築いている国です。
そして贈答にはいろいろな決まりが存在します。
例えば送り方にも大変複雑多様な作法があります。
「マナーうんちく話」でも触れていますが、祝儀袋、不祝儀袋、熨斗、水引、表書き、紙幣の入れ方、渡し方、口上などなど・・・。
贈答の種類や目的もしかりです。
お中元やお歳暮のように、お世話になっている人に感謝の気持ちを伝えるもの。
誕生祝、長寿祝い、結婚祝いのように互いの喜びを分かち合うもの。
そして何かの施しを受けた際のお礼があります。
香典返しや「内祝い」ですね。
ちなみに「内祝い」の本来の意味は身内、つまり内輪でのお祝いです。
自分の家族でおめでたい出来事があったら、ご近所や親族を招待して、宴席を設けたり、赤飯・紅白餅など、縁起の良い贈り物をして、身内の喜びを分かち合うというものです。
身内の喜びを、お祝いの宴やお祝いの品という形でお裾分けするわけです。
今では近所や親族の絆や協調性も薄れ、その結果「内祝い=お返し」の様にとらえられがちですが、「和の国」日本の素晴らしい文化だと思います。
また「お返し」はお祝いを贈ってくれた人が対象ですが、「内祝い」は贈り物をいただいても、頂戴しなくても対象になります。
ただお祝いをいただいてない人に内祝いをしたら、お祝いの催促と捉えられるかもしれません。
臨機応変にどうぞ。
さらにお返しは、頂いた金額の半分から三分の一程度が相場とされています。
これは頂いたままにはできないが、全額返したらその人の気持ちを踏みにじむことにもなりかねないからです。
「貸し」「借り」のままでは、互いに落ち着かないということでしょう。
厳格に言えば、弔事か慶事か?目上か目下か?で異なります。
「目上には薄く、目下には厚く」がお勧めです。
また災害見舞や企業、各種団体から頂いた場合は、お返しは基本的には不要です。
では本来の意味が失せた現在の内祝いは無くしたほうがいいのでしょうか?
「無駄」「煩わしい」という人も多いでしょう。
年齢層によっても異なるかもしれませんね。
私は「内祝い」にせよ、「お返し」にせよ残してほしい風習だと思います。
贈り物にせよ、贈り物をいただいた際のお返しにせよ、相手の喜ぶ顔を想像しながら、限られた予算で、あれこれ選んだり迷ったりすることにより、相手との縁が深まります。
人間関係を築くには手間暇を惜しんではいけないということです。
日本の贈答は神道の影響を強く受けていますが、その起源は神様への供物です。
稲作を中心とした農耕文化を築いた日本では、古くから五穀豊穣や家内安全、子孫繁栄などの神事を盛んに執り行っていました。
その供物は、神への感謝や祈りでもあったわけです。
さらに人と人を繋ぐ役目もありました。
このように和を尊び、目に見えないものや自然にも思いやりの心を発揮してきた先人は、周囲と良好な人間関係を築くために様々な素晴らしい文化を残してくれました。
まさに「内祝い」もそうだと思います。
例えば出産の内祝い。
昔は「親がなくても子は育つ」といわれました。
地域全体で子育てに関与するからです。
だから子どもが生まれたら、近所に紅白餅などを配り、互いに喜んでいただくとともに、何かあったら助けてね!とお願いしたのでしょう。
たがいに贈られたり、贈ったりしながら、相手にやさしい思いやりを発揮してきたのですね。
核家族の進展や近所とのつながりは稀薄化しましたが、それでもまだ「お互い様」文化は日本には根付いています。
心ばかりの贈り物を通じ、相手を思いやる文化もしかりです。
一方相手が自分のことについて、何かをしてくれたことに答え、その人に何かをしてあげることを「見返り」といいます。
頼みごとの見返りに「賄賂」を受け取る。
また選挙の際、票集めに奔走してくれた見返りとして、霊感商法や多額の献金にも目をつむる。
オリンピックで便宜を図る代償として賄賂を受け取る。
このような関係は早く無くなって欲しいところですが、内祝いは日本古来の心温まる文化です。
一見無駄だと思われるかもしれませんが、その根底には人の暖かい血が通っていると思います、
また「内祝い」「お返し」はせいぜい数百円から数千円が圧倒的に多いと思いますが、これで互いにほのぼのとした気分になれ、ほのかな幸せを実感できます。
「賄賂」や「霊感商法」の金額はけた違いです。
しかしこれで得た富で本当に幸せになれるのでしょうか・・・。
お金にまつわることわざで「悪銭身につかず」があります。