マナーうんちく話456≪乾杯と献杯③献杯の意味とマナー≫
冠婚葬祭の中でも葬儀は特に厳粛な儀式で、装いにも気配りが大切です。
ではどんな装いで葬儀に臨むか?
お悔やみの場や法事に参列する際に着用する服装が喪服ですが、奈良時代頃に誕生したといわれており、時代や地域や立場において様々でした。
恐らく明治になるまでは「白色」が一般的だったと思います。
今は変わってきましたが、故人に着せる死装束は白色が一般的でした。
武士が切腹をするシーンでも白の装いです。
平安貴族のように一部の上流階級の喪服は黒色とされていた時もあったようですが、もともと日本では白色は穢れを清める色とされています。
贈答品も白色の和紙で包みます。
また黒色に染めるには染料も必要ですし、技術や手間もかかります。
当時の一般庶民には無理な話です。
さらに白色は、あの世に旅立つ故人に寄り添う、供養の気持ちを表現する意味もあったようです。
ちなみに昔の貞淑な妻は白い喪服を着て、一度添い遂げた夫が亡くなったら、ほかの男性と再婚はしない決意を表現したとか・・・。
ただ江戸時代の武家階級でも離婚は多く、再婚する女性は結構多かったようです。
そして白色の喪服が黒色になった理由は意外に単純で、明治維新後です。
文明開化の名のもと、何もかもヨーロッパに合わせた文化が広まるわけですが、喪服の色も西洋に合わせ黒色になったといわれています。
1978年に不平士族により暗殺された大久保利通の葬儀に際し、「参列者は黒の喪服を着用するように」とのお達しが出されたとか?
ただ一般人の葬儀は依然白色が多かったようです。
江戸時代には士農工商の身分制度があり装いも様々で、明治維新後に統一することはとても困難なことです。
それに費用もかかります。
そして第二次世界大戦では軍人、一般人問わず多くの人が亡くなりました。
全国各地で葬儀が多く執り行われるようになり、喪服が気になるところです。
葬儀が増えれば、従来の白い服では汚れが目立つようになります。
だから喪服が次第に黒色になるのも頷けます。
そして決定づけたのが昭和40年代後半、既製服量販店が「これ一着で冠婚葬祭OK」というキャッチコピーによる略礼服の販売戦略でしょう。
当時、特に男性はファッションの知識に乏しく、改まった席にどんな装いで出席すればいいのか?まったくわかりません。
勿論私もそうでした。
従って「一着でOK」というフレーズは、私のようなものには殺し文句になったと思います。
冠婚葬祭のような改まったシーンで着用する服は「礼服」、つまりフォーマル・ウエア(Fomal wear)とよばれますが、昭和40年後半頃にはある程度経済も豊かになり、庶民の間でも冠婚葬祭に対してマナーが気になるようになります。
加えてマナーに関する書物などもお目見えするようになり、昭和の終わりから平成にかけて「冠婚葬祭大辞典」なども出版されるようになりました。
私は今でも昭和42年9月に発行された「新しい作法(東京女子大学教授 松村緑監修)」や、昭和の終わりから平成にかけて登場した「塩月弥栄子の冠婚葬祭辞典」を愛用しています。
いずれも大変充実した内容で、とても重宝しています。
お悔みや結婚式の際に着用する服装が定まれば、こんなうれしいことはありません。
白無地のシャツに黒い服で、婚礼には白いネクタイ、葬儀には黒いネクタイ着用スタイルが、日本人男性の定番になったわけです。
やがて女性もデザインや素材にもこだわりがあるにせよ、同じ傾向になっていき、黒色がすっかり定着したようです。
いま個性とか自分らしさに価値観が置かれますが、黒い礼服は当分揺るぎそうにありませんね。
では、思い思いに個性を発揮し、ファッションを楽しむ時代に、なぜ黒い服にこだわるのか?
マナーの視点から考えてみます。
マナーの根源は感謝・尊敬・思いやりです。
先ず、決められた服装で葬儀に参列すれば、あれこれ迷うことがありません。
つまり気持ちにゆとりが持てます。
だから他者に対して思いやりの気持ちが発揮できます。
また遺族や儀礼に対して敬意を払うこともできます。
現在の葬儀は遺族も参列者も喪服を着用するのが一般的ですが、それなりの意味があるということになります。
最後に葬式や結婚式では「参列」や「列席」という言葉が使用されます。
どちらも似たような意味ですが、使用する立場により異なります。
葬儀や結婚式に参加する側は「参列」、葬儀や結婚式に来てもらう側は「列席」という表現になります。
弔問とは不幸があった個人の家を訪れ、お悔やみを述べることです。