マナーうんちく話521≪お心肥し≫
コロナがまた猛威を振るい始めましたが、それでも、いろいろな歳事が復活し、日本の夏が蘇った気がします。
現代社会とは異なり、昔の人々の暮らしはとても単調な生活です。
しかし、そのような暮らしの中で様々な行事を行い、しきたりに従うことで、日常生活にメリハリをつけ、多くの楽しみを味わっていたのでしょうね。
デジタル社会になっても、昔ながらの歳時やしきたりが生き続けているのは、ひとえに四季の美しさや、先人の豊かな感性を受け継ぎたいからではないでしょうか。
夏の祭りに無病息災を祈願し、秋祭りに豊作を感謝するのも、節目・節目で、やるべきことをやり、生活に潤いを持たせるわけですね。
四季が明確に分かれ、国土の7割以上を山林が占める日本は、自然とのかかわりがとても密接です。
また太陽や月の動きも、時を知る貴重な目安になっています。
昔の人が「太陰太陽暦」を作ったのもそうでしょう。
日本は明治5年12月3日に改暦し、今まで使用していた太陰太陽暦から、世界各国で使用されている太陽暦(グレゴリオ暦)にかえました。
「旧暦」から「新暦」への移行というわけですが、世界基準に合わすためと、当時の財政難が原因だったようです。
改暦の建前はいまでいうグローバル化ということですが、本音は明治新政府の財政難打破にあったのでしょう。
ところで「太陰暦」とは月の満ち欠けが基準で、新月から次の新月になるまでが一か月です。
昔の人はそれだけ、お月様を身近に感じ、生活を営んでいたのだと思います。
日本には月を愛でる文化は多々あります。
おなじみの「竹取物語」もそうでしょう。
また「仲秋の名月」を楽しみ、月の様々な形にも親しみを込めて独特な名前を付けています。
三日月、七日月、十三夜、満月、十六夜の月、立ち待ち月、居待月、寝待月など。
ちなみに今でもその月の最初の日は「ついたち」といいますが、「月立つ」が語源です。
「立」は始まるという意味があります。
たとえば「立春」は春の始まりです。
さらに月が満ちていく時を、エネルギーも充満する時として捉え、いろいろな行事を積極的に行ってきました。
茶事や歌会、祭りや集会などなど・・・。
また絶景の月が見られるように特別に設計された建物もたくさん存在します。
それだけ月に一回の「満月」には特別の思いを寄せたわけです。
以前私がホテルでブライダルの仕事をしていた時には「結納の儀式」がありましたが、満ち潮になる時間を調べ、結納をとり行った記憶があります。
一方「太陽暦」は地球が太陽の周りを一周する長さを一年としています。
だから旧暦に対し、新暦の方がはるかに暦としては正確ですが、当時の人は新暦を、もろ手を挙げて受け入れていません。
それどころか多くの人は依然として旧暦を使用したようです。
何しろ長年慣れ親しんできたものを一夜にして、新しいものには代えられません。
「数え年」から「満年齢」に移行した時もそうでしょう。
昔の人にとって「旧暦」は、生活の中の大切な指針であったわけですから頷ける話ですね。
そして今でも新暦のカレンダーに旧暦の日付、さらに大安や仏滅のような六曜が併設されているものも珍しくありません。
昭和のアナログ人間の私は未だに愛用しています。
旧暦の時代は農業人口がとても多く、農作業の目安になる「立春」からスタートして「大寒」でおわる「二十四節気」は、太陽の運行をもとに付けられているので、旧暦でも、とても役に立っていたと思います。
私も野菜作りをしていますが、今でも二十四節気を参考にしています。
さらに詳細な情報を得るために二十四節気を3等分にし、一年を72に分類した「七十二候」も先人の傑作だと思います。
「東風凍を解く」に始まり「桃初めて笑う」、そして「鶏始めて乳す」で終わっていますが、季節の出来事を素直に表現しています。
温かい春風が吹き始め、氷が解け始めると一年が始まり、鶏が卵を産み始める頃に年末を迎えるわけですね。
このように、折々の気候、風や雨や雪の様子、植物や鳥や虫などに目を向けた七十二候は、農作業の指針であるとともに、日常生活の息吹に満ちた暦だといえるのではないでしょうか。
さらに、より季節の動向を正確に把握するために作られた「彼岸」や「八十八夜」のような「雑節」、季節の節目になる「五節句」もあります。
現在はデジタル化が著しくなり、月の満ち欠けも、海の満ち干しも、日照時間もあまり気にすることなく、日々の暮らしが成り立っていますが、SDGsを本気で推進するのであれば、せめて季節の移ろいに敏感になり、自然と一体となった生活にも思いをはせてみたいものです。
特に身近な「暦」と「月」には関心を持っていただければと思います。
昔の人の生活は確かに単調ですが、それにしても太陽暦のような、非常に誤差の少ない精巧な暦を作り上げた知恵は素晴らしいと思います。
今のように大型コンピューターも、精度の高い天体望遠鏡もない時代に、よくできたものだと感心するばかりです。
「夕涼み」という文化は消えてなくなりかけていますが、真夏の夜に、月や星を眺めながら、旧暦の成り立ちに思いをはせるのもお勧めです。