マナーうんちく話499≪習慣は第二の天性なり≫
《母さんが夜なべをして 手袋編んでくれた 木枯らし吹いちゃ 冷めたかろうて…》
心温まるふるさとの歌で、タイトルは「かあさんのうた」です。
私の大学時代には「歌声喫茶」が流行していた時で、そこでよく歌われていたことを記憶しています。
この曲は今でも歌い続けられていますが、背中を丸め、裸電球の下で、裁縫の仕事をする母親の姿は、日本の女性の象徴だったと思います。
子どものことを案じて、アカギレの手を温めながら編んでくれた手袋。
市販されているようなお洒落で有名ブランドの手袋ではありませんが、子を思う親の愛情がいっぱい詰まっています。
世の中には、お金では買えない大切なものは沢山ありますね。
物が豊富になり、ミシンも針も糸も女性からどんどん遠のいていますが、何か大事なものを置き去りにしている気がしてなりません。
また日本は年中行事が世界で最も多い国だといわれていますが、経済効果が薄いものは淘汰されているのも現実でしょう。
折れたり曲がったり錆びたりして使用できなくなった針を、餅や豆腐やこんにゃくにさして、感謝とねぎらいの気持ちを込め、裁縫技術の上達を祈願する行事が針供養で、2月8日に行われました。
ただオリンピックに押されたせいか、殆どニュースにはなりませんでした。
今の私たちが思っている以上に、昔の女性にとって針仕事は大事なもので、結婚して母親になれば、子の着物を母が縫うのは、ごく当たり前の光景です。
そして折れたり曲がったり錆びて、使用されなくなった針を、豆腐やこんにゃくなど軟らかいものにさして供養したわけです。
これが針供養の行事で、今では洋裁学校などで行われていますが、クリスマスや節分のように有名ではありません。
また豆腐やこんにゃくのような柔らかいものにさすのは、ねぎらいと感謝の気持ち、さらに柔軟な人になって、自分らしく生きて欲しいとの思いが込められているからでしょう。
そして針供養の行事には、小さい頃から物を大切に扱ってほしいとの思いもあります。
ちなみに礼儀作法の視点で言えば、まず物を大切にする心を有することが大前提になります。
物を大切に思う心が備われば、自然に物を大事に扱うようになります。
物を大切に扱うポイントは両手で持つことです。
例えばお茶をいただくとき、茶碗を右手で持ったら、左手を静かにそこに添えますが、日本人ならではの美しさだと思います。
物を大事にするという気持ちが、指使いに込められているということです。
特に女性にとって指の動きは大切です。
白魚の指といわれますが、日頃からお手入れを大切にして下さいね。
さらに針で着物を縫う際には「しつけ糸」が大事な役目を背負います。
家庭でも、箸使いや履き物の脱ぎ方・揃え方などの基本的な躾ができていると、不思議に自然に物を大切にするようになるでしょう。
日本は特に宗教の影響もあると思うのですが、神道は八百万の神様といわれるように、いろいろなものには神様が宿っていると考えられています。
だからいくら古くなっても簡単に捨てたりしません。
針や筆のように、自分の体の一部として使用するようなものには、特に愛着を持ち、使えなくなれば供養したわけです。
人形にせよ、筆にせよ、針にせよ、物や道具に過ぎないものまで丁寧に供養するわけですから、日本人がいかに物を大切にしてきたかが伺われます。
そしてその精神は物作りにかかわっている人に脈々と受け継がれています。
物にも感謝し、供養する気持ちで接する日本独自の精神は素晴らしいですね。
いまSDGsが話題になっていますが、現実は大量生産、大量消費の時代になって、限りなく経済優先です。
確かにリサイクルショップは大幅に増え、うまい具合循環されているようですが、日本では「ブランドだから」というイメージが強いのは事実です。
これは日本の「もてなし文化」にも言えますが・・・。
神様の存在は目には見えません。
しかし、日本人は目には見えないものにも魂が宿っていると考え、裏表なく接してきたわけです。
また「自然と一体になって存在している」という、自然崇拝も日本人の美意識や感性です。
SDGsを大切と位置付けるのであれば、たとえもうけにならないような「針供養の行事」の意味や意義を、学校でも、家庭でも、しっかり子に教えて頂きたいものです。
「物を大切にする」ということは、すなわち「人と人とのつながり」も大切にすることになるからです。