マナーうんちく話342≪マナー美人⑨「旅館のマナー」≫
秋の語源は「食べ物が飽きるほど市場に出回るから〈飽きる〉が秋に転じた」という理由が有力な説になっています。
「食欲の秋」という言葉に相応しく、秋になると果物や野菜など多くの食べ物が旬を迎え市場が賑わいますが、その筆頭格といえば何といっても「新米」でしょう。
稲が黄色味を帯びて首を垂れ始めるといよいよ収穫期です。
そして、豊作に感謝する秋祭りのシーズンになるわけですが、その頃までにはコロナも落ち着いてほしいものです。
オリンピックやパラリンピックを開催して、日本人の心のよりどころである「祭り」ができないとなれば、あまりにも寂しい気がします。
考えれば考えるほど多くの矛盾が湧き出てきます。
ところで長い歴史を有する日本で稲作の歴史は古く、弥生時代までさかのぼるわけですが、今では米は日本人のかけがいのない主食になっていますね。
ちなみに米が主食になった歴史は意外に浅く、第2次世界大戦前までは麦、粟、稗などに米を数割程度混ぜたご飯が多かったようです。
それ以前になると里芋、薩摩芋、トウモロコシ、豆類が多く食されていたとか・・・。
米は大陸から伝来し、きれいな水と太陽の力によって、日本の大地に根付いたことは確かですが、米作りは常に自然との闘いです。
そして狭い土地でさらに生産性を高めるために、水田を作り、同じ場所で米を作るようにした先人の知恵にも感心させられます。
水田は作ることも管理も大変ですから、そこから共同作業の発想が生まれ、さらには集落が作られ、多種多彩な日本文化が形成されるようになります。
多様な命も育まれてきました。
また、米は栄養もあり、美味しいだけでなく、保存も効きます。
一粒の種もみから2000から3000の米を実らせるほど生産性が高いことも大きな特徴です。
だから江戸幕府は、米を経済の中心とする体制を作り、「貨幣」としての役割も生まれるようになります。
全国に多く存在する「藩」の格付けも、米の収穫量により決めましたね。
そして米作りは、四季を愛でる感性も、命をいつくしむ心も、和の精神も芽生えさせました。日本のモノづくりの原点も米作りからでしょう。
例えば畳、屋根材量、ご座や筵(むしろ)、草履、縄などは米のわら製品です。
寿司、せんべい、おかき、餅、あられ、玄米茶、甘酒などは米の加工品です。
田楽、猿楽、能や狂言、民謡など芸能に関する文化も熟成させました。
米にまつわる風習も非常に多く、今でも受け継がれています。
特に冠婚葬祭に多く見られますね。
お喰い始めの儀式、88歳の米寿、赤飯、お月見の団子、さらに枕飯など。
「祭り」も日本には数えきれないくらい沢山あります。
その多くは、春になれば山の神を迎え「田の神」になっていただき豊作をお願いし、秋になれば豊作に感謝するものです。
そして「田の神」をお見送りして、再び「山の神」になっていただき、子孫の元気な活躍を見守っていただくわけです。
日本の米作りは「神道」と密接に関係しています。
正月には穀霊や先祖霊を歳神様として丁寧にお迎えし、おもてなしして、またお見送りします。
東京オリンピックで日本の「おもてなし」が話題になりましたが、日本のもてなしの原点はここにあります。
こうしてみると、米は単なる食べ物だけではなくなり、長い間日本人は米によって生かされてきたわけですね。
だから稲の語源は「生きる根」であり「命の根」という説があります。
日本は米によって成り立った国であり、日本人は米によって生かされているといっても過言ではないでしょう。
勿論米の恩恵を受けている国は日本に限ったことではありません。
世界中でどれくらい米の生産に携わっているかといえば、現在116か国で生産されています。
生産量が一番多いのは中国で、以下インド、インドネシアと続き、日本は11位だそうです。
そしてそれぞれの国で独特の稲作文化は存在しますが、日本ほど豊かな文化を有している国はないでしょう。
高温多湿の気候や神道の影響を受け、稲にとって日本ほど恵まれた国はないかもしれませんね。
加えて、世界経済に大きな影響を与え「近代経済の父」といわれたアダムスミスは、10年の歳月をかけ「国富論」を完成させましたが、米は最も理想的な穀物と絶賛しています。
このように、昔から多くの世界で米は環境保全や、飢餓や貧困の克服に貢献してきたわけです。
特に日本の水田は、貴重な水資源を生み出しています。
洪水の被害防止にも役立っています。
空気も清浄になるし、気分も安らげてくれます。
稲の緑のじゅうたんは目にもいいようです。
米作りがいかに持続可能な社会に貢献したか、改めて心にとめて頂きたいものです。
一粒の米の背景には、どのような歴史があり、多くの人の思いがあるのか?
SDGsを本気で考えるなら、一度は日本の米作りを、しっかり思い浮かべてみることも大切だと考えます。
特に今まで何度も触れましたが、自然に畏敬の念を抱き、自然と共生する心、及び稲作で互いに助け合い共同体になる心、周囲の環境を大切にする暮らしを再認識することが大切です。
一言で表現すれば自然と神と人との相互依存関係だと思います。
米を単に市場原理だけでとらえるのではなく、世界に誇れる素晴らしい文化だとの認識のもと、自信を持って持続可能な社会づくりに取り組みたいですね。