マナーうんちく話500≪継続は力なり、500回ありがとう!≫
秋の趣が感じられ、朝夕が心地よくなってきましたが、七十二候では只今「禾乃登(こくものすなわちみのる)」です。
コロナ禍ですが、今年も実りの季節がやってきました。
ちなみに「禾」は稲が穂を垂れている様子を表し、「登」はここでは実という意味です。
早苗月(5月)に田植えを終えた稲は約100日で穂を出し、花が咲きます。
さらにひと月経過すれば、米の粒が実り、首を垂れるようになりますが、今も昔もやっと安堵できる瞬間です。
多くの手間暇をかけ、苦労して育てた努力が報われるわけで、先人は稲穂が実を熟成させ、首を垂れている姿を見て、大切なことを沢山学びました。
「実るほど首を垂れる稲穂かな」という言葉がありますが、出来る人ほど謙虚になれるという教訓でしょう。
徳を積んだ人格者は謙虚ということでしょうか。
しかし今は「謙虚」という言葉や「人格者」とは縁が薄れた気がしてなりません。
それに対し、たいして実力もないのに自信過剰な人や、スズメの涙程の成果を誇張する政治家や指導者が増えましたね。
手柄は奪い合い、責任はなすり合いする傾向も珍しくなくなりました。
それどころか、自分の責任を追及されると、それを排除する傾向もみられます。
困ったものですね。
ところで《マナーうんちく話》でも以前触れましたが、和の礼儀作法には「三辞三譲」という精神が存在します。
勧められても3回断って、3度譲るという意味ですが、例えば会議や訪問先などで上座を進められても、3回は形式的に辞退するということです。
日本の美徳といえばまず「謙虚」や「奥ゆかしさ」や「潔さ」があげられますが、どんなに社会的地位が高い人でも、あるいは金持ちでも、特に名誉なことを進められたら、それをいったん断って、相手に譲る精神は実に素晴らしいですね・・・。
「私は常に謙虚な気持ちを持ち合わせていますよ」という意思表示であり、名誉なことは他者に譲る気持ちこそ、指導的立場にある人に持ち合わせて頂きたいものです。
ちなみに「謙虚」とは、人の態度や性格を表す言葉ですが、控えめで、つつましく、目立たないようですが、実は多くの人から好感を持たれます。
能力があっても、地位が高くても、金があっても、相手の意見が素直に受け入れられるので、当然周囲とも良好な人間関係が築けるでしょう。
さらに相手により態度を変えないので、不必要に忖度することもないし、信頼を得られるでしょう。
また謙虚な人は往々にして礼儀正しく、聞き上手で、人にやさしいし、感謝の気持ちを持ち合わせている場合が多いようです。
勿論損得勘定で動かず、見返りを求めません。
人から好かれる条件が揃っているということです。
ただし謙虚も度を越えると逆効果になる恐れはあります。
時代の流れとともに「三辞三譲」から「二辞二譲」、場合によっては「一辞一譲」のほうがいいかもしれません。
臨機応変に対応してください。
また相手が外国人の場合には、はっきり自己主張したほうがいいかもしれませんね。
最後に日本では昔から「自分のことは後回しにして他者を思いやる文化」がありました。
ワクチン接種の時や病床が圧迫していた時にも、上級国民といわれる人が優先されてことが多々ありましたが、これは公平ではないですね。
ではどうすれば謙虚な人になれるか?
米も時がたてば自然に実るわけではありません。
88の手間暇がかけられて初めて実を実らせます。
人も同じで、わがままに、不自由なく育つのではなく、多くの苦労を経験することだと思います。