マナーうんちく話499≪習慣は第二の天性なり≫
【季節を素敵に彩る美しい日本語と日本人の素晴らしい感性】
その季節の虫や鳥の最初の鳴き声を「初音(はつね)」と言いますが、中でも鶯の初音は昔から多くの人が待ちわびたようです。
鶯は昔から、春が来たことを知らせてくれる大切な役目を担っていたからでしょう。
だから鶯は「春告げ鳥」と呼ばれるわけですが、「春告げ草」の梅と同様大変重宝されてきました。
ただこの時期になると中山間地域では鶯の声は身近に聞こえてきます。
そして今年も桜の開花ラッシュが始まりましたね。
日本人の心の花ともいわれる桜のシーズンの開幕です。
在原業平葉は《世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし…》と詠んでいますが、その気持ちはコロナ禍の今も同じですね。
そればかりか最近では桜の開花情報も頻繁に発信され「つぼみ膨らむ」「3分咲き」「5分咲き」「満開」「散り始め」などと、その時の様子を克明に知らせてくれます。
ところで桜開花予想に使われる「600度の法則」をごぞんじでしょうか?
科学の発達につれ桜の開花時まで予測できるようになりました。
2月1日以降の最高気温を毎日たしていき、その累積温度が600度を超えた日に桜が開花するそうです。
そうなると地元のテレビ局や新聞社がこぞって取り上げる!こんな花は他にはありませんね。
またこの様に同じ花を追跡報道するようなことは外国ではないでしょう。
さらに桜を眺める人を「桜人」、桜が咲いているのを訪ねまわってそれを鑑賞することは「桜狩り」、桜を囲んで宴を開くことは「花見」など、桜の味わい方にまで様々な表現があります。
最近は花鳥風月を楽しむ機会は少なくなりましたが、日本人にとって桜は今でも特別な存在ではないでしょうか。
その見事な咲きぶりと共に、潔い散り方にあこがれた先人の遺伝子が残っているのが感じられます。
花を見たり、鳥や虫の音を聞いて、それを美しいと感じる豊かな感性を有している日本で生まれ育って良かったですね。
【急激な高度情報化社会と高齢者にはなじめない外来語の氾濫】
ところで新型コロナ禍での生活も1年が経過しましたが、刻々と伝えられる情報は、桜情報と打って変わってカタカナ文字の氾濫で、私のような古い世代の人間にはついていけない面が多々あります。
例えば最初に登場した「テレワーク」。
恥ずかしい話ですが、電話を机の前において、それで営業のような仕事をするのかと思っていました。「オンライン」しかりです。
加えて「ロックダウン(都市封鎖)」「オーバーシュート(感染爆発)」「クラスター(集団感染)」などなどの言葉にもなじめませんでしたね。
さらに最近では新聞でもテレビなどにも、持続可能性を意味する「サスティナブル」、遺産の「レガシー」、合意の「コンセンサス」、基本計画の「マスタープラン」など次から次に登場してくる難易なカタカナ語にはうんざりします。
加えて「ジェンダー」や「SDGs」などなど・・・。
素晴らしいことだとはある程度理解できますが、ジェンダーが社会的・文化的に作られた性別、エス・ディ・ジーズが持続可能な開発目標と即座に答えられる人が果たしてどれくらいいるのでしょうか。
専門家や政治家を始め、マスコミに携わる人は、難しい言葉を国民のだれもが理解しやすい言葉に変えて、わかりやすく伝えるのが仕事だと思うのですが、間違いでしょうか・・・。
そして挙句の果てには「ステイホーム」。
今まで「ホームステイ」という言葉は知っていましたが、「ホームステイ」と言われれば命令口調に聞こえてなりません。
「またカレーライス」と「ライスカレー」の言い方くらいは理解できますが、「ホームステイ」と「ステイホーム」の違いとなれば日本人なら誰もが理解できるとは限らないでしょう。
加えて「ワンボイス」。
具体的にどのようなことを意味するのか、私のような学問や知識が未熟なものには全く理解できません。
思いやりのかけらも感じられないということです。
コロナ収束に向け国民が一致団結して立ち向かわないといけない時に、あえて難易な外来語を頻繁に使用する必要がどこにあるのでしょうか。
もちろん「ワクチン」「インフルエンザ」などカタカナ言葉の方が解りやすい言葉もたくさんあります。
戦時中のようにすべての外来語を禁止するのではなく、臨機応変に使用していただければと考えます。
私は「シニアライフアドバイザー」「健康生きがいづくりアドバイザー」として高齢者の「生きがいづくり」等に関する講演を幅広く行っていますが、確かに高齢者自身も急激な技術革新や国際化に追従できるよう努力することは大切だと考えます。
だから生涯学習が必要になるわけですが、限度があるでしょう。
【もともと日本には古くから外来語は存在していた】
とはいえ、もともと古い歴史を有する日本では昔から外来語が多かった事は確かです。
6世紀に仏教が伝来した時に仏教用語が多く伝わり、その後多くの漢語が日本に入ってきましたが、日本人はそれらを上手に使いこなして、日常生活になじませてきました。
それが文明開化を迎えると英語や西洋語が入り、ややこしくなってきたようです。漢字は小さい時から使い慣れているが、アルファベットにはなかなかなじめないといったことでしょうか。
ちなみに江戸時代に来日した外国人は日本の教育水準の高さに驚いたといいますが、江戸時代には藩校や寺子屋の普及で、男性も女性も子供の識字率は世界トップクラスだったといわれています。
そして明治維新を迎えるわけですが、明治新政府の大きな功績の一つに学校を全国に作ったことがあげられると思います。
【母国の敬語を守った明治の官僚は素晴らしかった】
学校では国語も英語も教えたのでしょうが、「パパ」「ママ」という英語が入ってきて、この言葉を一般家庭で使用すべきか否かについて文部省で議論されたという話を聞いたことがあります。
結果は否だったそうです。
なぜなら外来語が氾濫すると、日本の美しい敬語が廃れるからです。
欧米諸国との交流を目指し、様々な外来文化を輸入する過程で、自国の敬語を守った当時の役人の判断は実に素晴らしかったと思います。
【氾濫する外来語の中では敬語は育たない】
日本の敬語は世界的にも大変美しい言葉だと思いますが、今のように氾濫する外来語の中では敬語は育たないでしょう。
マナー講師としてビジネスマナー講座を担当することも多々ありますが、このような環境下で敬語に触れても、はたしてどれほどの意味があるのか、いつも不安だらけです。
従って私はマナー教本に記載されているような敬語にはほとんど触れることはしません。あえて、話し方では丁寧語をお勧めする程度です。
【日本には古くから世界に誇れる素晴らしい文化が多く存在する】
日本は世界屈指の長い歴史を有する国ですが、日本語しかりでしょう。
昔から自然とも共有し豊かな文化を築いてきた国です。
今から1000年以上前の1008年には紫式部という一人の女性が、世界最古の長編小説「源氏物語」を発表しています。
「和歌」という優雅で雅な文学も栄えた国です。
そして何より日本は世界に先駆け、人類永遠のテーマである長寿を手に入れているのも事実です。世界でも屈指の平和な国家を築いている国でもあります。
これらは大変誇れることであり、このような国が不必要に外来語にこだわる必要は皆無と言えると考えます。
堂々と日常生活で日本語を、誇りをもって使用すればいいと思っています。
ただし国際舞台ではプロトコール(国際儀礼)や英語を重視すればいいだけだと思うわけです。
【再発見したい自国の文化や日本語のすばらしさ】
文明国の中で、恐らく日本ほど外来語が氾濫している国はないのではないでしょうか。
年中行事や食文化等もしかりです。
もちろん外国の多様な文化をおおらかな気持ちで受け入れることはいいことだと思うのですが、自国の文化が廃れることがあっては本末転倒と考えます。
例えば外来語が氾濫し敬語が廃れる、クリスマスヤハロウイーンイベントが盛大になり正月や祭りの意義や意味が薄れる、洋食が普及しすぎて箸の持ち方がおかしくなるなど・・・。
難しいカタカナ言葉を話す人が賢いとも、格好いいとも思えません。
本当に格好いい人は、難しいカタカナ言葉を誰でもわかりやすい言葉で正確に話せる人と思います。
加えて日本人なら、「初音」や「桜前線・紅葉前線」、「桜人」や「桜狩り」、「春告げ花・春告げ草」などの季節の美しい言葉を頻繁に使ってほしいものです。
外来語が氾濫し、食料も、エネルギーも、さらにコロナワクチンも拉致問題も外国に頼るようでは、幸せな国は築けないと思う次第です。
もともと日本は昔から自然と共生し、自然に対しても思いやりを発揮してきた国で、これは持続可能な社会に大きく貢献します。
加えて思いやりを根源とする和の礼儀作法は世界平和にも寄与できるでしょう。
不必要に外来語に振り回されることなく、敬語を有する日本語の魅力、和の礼儀作法など日本の素晴らしい文化を次世代に正しく伝え、世界に発信していくことが国際時代の在り方だと考えます。