マナーうんちく話569≪泥より出でて、泥に染まらず≫
「春は名のみよ 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず・・・」の愛唱歌があるように、立春とはいえ厳しい寒さが続いています。
もともと日本人は長い歴史の中で、自然に寄り添い、気候や草花や鳥などの自然の変化を繊細にとらえ、心豊かに暮らしてきました。
鳥や虫の鳴き声、草花の息吹、降る雪や雨、吹く風、さらに草花に宿る露の状態まで細かに観察し素敵な名前を付け今日に残しています。
「冠婚葬祭、年中行事、和食・洋食、接客・接遇、ビジネス、人間関係」関連のマナー及び中高年齢者の生きがいづくり等の講演会や研修会も1000回をこえましたが、毎回冒頭でなるべく季節の言葉にふれるようにしています。
これが意外に老若男女に受けています。
日本の四季の美しさは世界に誇るものだと思いますが、多くの日本人はどこに住んでいようと、四季の国に生まれ育ったことに感謝するとともに、日々移ろう自然の美しさを喜んでいるのでしょう。
そこで、今後折に触れ、先人が伝え残してくれた、旬の美しい言葉に触れてみたいと思います。今回は立春に相応しい「春告げ草」と「春告げ鳥」です。
古来日本では春は東風が連れてくると考えられていました。
そして東風(こち)が吹けば、梅の花が開花します。
奈良時代に中国から日本に伝えられたといわれる梅ですが、清楚な感じの花と香りは多くの日本人に愛され親しまれてきました。中でも貴族の間では自分の屋敷の庭に梅を植え、それを愛でるのが当時のステータスだったとか。
厳寒の頃でも、多くの花に先駆け花を咲かせるので「春告げ草」と名付けられ、万葉集や源氏物語や枕草子に登場します。ちなみに万葉集では、日本に自生した桜よりはるかに多く詠まれており、その人気度が伺えます。
そして近世になり、江戸幕府が梅の栽培を奨励し、多くの農家が梅干しづくりを副業にしたようです。
昨年講演会の冒頭「春告げ草」の話をしたら、梅は誰がどう見ても「木」なのに、なぜ「草」と表現されるの?との質問を受けました。
春告げ草は、暖房器具も照明器具も食物にも乏しかった当時の人々の、花咲く春を待ちわびる気持ちに寄り添った、大変優雅な言葉ですが、なぜ草と表現されるのか?不思議な気もしますね。
あくまで私の個人的見解ですが、当時は今のように細かな分類がなく、草、花、木などを総称して「草」と表現したのだと思います。
「春の七草」は食用で、今では野菜に分類されますが草と表現されています。
一方「秋の七草」は今では花に分類されますが、やはり草になっています。
また節分草、福寿草などは花ですが草がついています。
さらに2021年3月5日は二十四節気のひとつ「啓蟄」ですが、冬の間土の中に閉じこもっていた虫たちが、春の気配を感じて地上に出てくる頃です。
ここでの「虫」は蜥蜴(とかげ)や蛙や蛇も含んでいます。
今のように両生類や爬虫類といった分類はなかったのでしょう。
何もかもおおらかで大雑把な時代に名付けられた言葉だからと考えますが、いずれにせよ春を告げるということで、縁起がいいものです。
一方春を告げる鳥は「鶯」で「春告げ鳥」と呼ばれます。
その季節の初めての虫や鳥の鳴声を「初音(はつね)」といいますが、中でも鶯の初音は待ちに待った鳴き声だったようです。
何しろ美しい鳴き声で春が来たことを知らせてくれるのですから・・・。
ただ梅はもう開花しているところも多いですが、鶯の鳴き声はまだかなり先になります。しかし春爛漫の頃には人にも慣れてくるのでしょうか、我が家の玄関先までやってきて、美しい音色を惜しげもなく聞かせてくれます。
田舎暮らしならではの贅沢な時間で、いくつ年を重ねても心がほっこりします。
春告げ魚は地方によりさまざまですが、瀬戸内海では鰆が有名です。
最後に「春は嵐とともにやってくる」といわれますが、春の訪れを感じる立春から春分にかけ、その年に初めて吹く南寄りの強い風は「春一番」です。