マナーうんちく話604≪武士は食わねど高楊枝≫
「人生100歳時代」をより善く生きるにあたり、長年行ってきた様々な研修会や講演会を通じ、感じてきたことをランダムですが、シリーズで触れてみたいと思います。
最初は調和のとれた「立ち居振る舞い」です。
自分が周囲からどう見られ、どう思われているか客観的にとらえたことがありますか?
自分の話している声の調子、食事をしている時の姿、接客時の表情や態度、家庭にいる時、デートの時などなど・・・。
33年間ホテルに勤務していた時に、立ち居振る舞いが美しいお客様に多々出会いました。
初対面でも美しいしぐさの人は印象に残るものですね・・・。
高級ブランド品をまとうことは出来ても、優雅な振る舞いはそう簡単には身に付きません。
だから美しい立ち居振る舞いは、年齢を問わず「素敵」の代名詞になるのでしょう。
では《立ち居振る舞い》とはなんでしょう。
「立ち居」と「振舞い」で、立ち居は立ったり座ったりすることで、振る舞いは動作や行動、さらにもてなしとか饗応という意味があり、とても広本位にわたります。
ちなみに「饗応(きょうおう)」とは、飲食物を提供しお客様をもてなすことで、私がホテルに入社して最初に配属された部署は饗応課でした。
江戸幕府には赤穂浪士の物語でも有名ですが、朝廷から派遣された勅使をもてなす「饗応役」が存在し、勅使にご馳走を振舞ったり、進物を献上したり、話し相手にもなったりしました。
相手が勅使ですから、かなり高度な作法や教養が問われたことは容易に想像できます。
当時の価値観ではうまくいけば大変名誉なことですが、下手をすれば切腹物で、かなり重責だったようです。
それに饗応には莫大な費用が伴ったとか・・・。
加えて勅使の饗応(接待)ともなれば、「公家礼法」と「武家礼法」が絡んでくるので大変難しい役目になります。
もともと礼儀作法というものは、人間の共同生活の節度を維持するために考案されたものですから、本質的には大変厳しいものです。
ではその意義はどこに存在するのかといえば、ゆったりした調和を生み出すためです。
しかし「礼も過ぎれば無礼となる」という言葉もあります。
知っていること、学習してきたこと全てを実行すればいいものではありません。
相手の状況に応じて振舞うことが大切です。
そうすることにより、互いの良好な人間関係が保たれるわけです。
何気ない動作は自分で気が付かなくても、時として相手に不快な印象を与えることがあります。
常にみられているという意識を持ち、周囲の適切な状況を見極める努力も大切にしてくださいね。
美しい立ち居振る舞いとは形にはまったものではありません。
またビジネスマナー研修を数時間受けて身につくようなものでもないでしょう。
とにかくいろいろと苦労して、経験を重ね、人間力を磨くことが大切だと考えます。