マナーうんちく話239≪バラ色の人生とマナー≫
12月の異称は「師走」とか「除月」といいますが、二十四節気では「大雪」から「冬至」へと季節が進みます。
そしてこの時期は灰色の冬空に天地が塞がれ、生き物も次第に活動を控えるようになる時期です。
また、冷たい北風が木々の葉っぱを払い落してしまうので、枝と幹だけになってしまった木が目立つようになるのもこの季節の特徴でしょう。
ちなみに秋の山は木の葉が黄色や赤やオレンジ色に美しく紅葉し、まるで女性がお化粧したようになるので「山装う頃」と表現しますが、冬の山は木々が葉っぱを落とし山全体が閑散とするので「山眠る頃」と言います。
国土の7割以上を山林が占める日本では、四季折々の山の状態を擬人化して「山笑う頃」「山滴る頃」「山装う頃」「山眠る頃」と呼んだ先人の豊かな感性には感心させられますが、多くの恵みをもたらしてくれる自然に感謝の気持ちを抱き、自然と共生してきたからこそこのような表現ができたのでしょうね。
マナーの根源を成すものの一つに「感謝」がありますが、人や自然や目に見えない神様に感謝の気持ちを抱くことはとても大切です。
でも素直に感謝の気持ちを表現することは意外に難しいものです。
特に伴侶、親、兄弟などには・・・。
「親孝行。したいときには親はなし」といいます。
「小春日和」「五月晴れ」「情けは人のためにならず」などは本来の意味を誤解している人が多いようですが、この言葉は殆どの人が把握しているでしょう。
親が元気で達者なうちは、自分もまだ若く、親のありがたみに気づくことができません。しかし成長して人間力が付き、親のありがたみが理解できるようになり感謝の気持ちが湧いてくる頃には、親はもうこの世にいません。
親が生きているうちに孝行するべきだったと嘆いている人も多いと思います。
「親孝行と火の用心は灰になる前に」といわれますが、まさにそうですね。
ただもう少しこの言葉を掘り下げて考えてみましょう。
「親孝行。したいときには親はなし」とは、《いくら親の恩に報いようとしても、報いることは無理》と解釈すれば如何でしょうか・・・。
気持ちが楽になります。
ちなみに具体的にどんなことが親孝行になるかといえば、「孫の顔を親に見せる」「結婚する」「直接親に感謝の気持ちを伝える」「親を旅行に連れて行く」「親に家を建ててあげる」などが多いようですが、実家で親と一緒に暮らしたり、楽しい酒を共に飲んだり、食事をしたりするのもあるでしょう。
超高齢社会に突入した現在では、我が国は世界屈指の長寿になっていますから、親の介護も大切な親孝行になるでしょう。
ただこれらのことを実行できて満足できれば精神的にも楽ですが、仕事や予算の都合で何もできずに、親を見送ってから悔やんでいる人も少なくないと思います。
英語では「A good thing is known when is lost」(良いものはなくして初めてわかる)という類似の言葉がありますが、恐らくどこの国でも同じでしょう。
しかし親にとって何が一番うれしいかといえば、物理的なプレゼントもいいかもしれませんが、自分の子どもが輝いている姿を見ることではないでしょうか。
親の恩に報いることは無理なわけですから、自分が幸せになって親に「ありがとう、今とても幸せです」と笑顔で表現できることが大切だということです。
ちなみに「親孝行 したいときには 親はなし」のあとには、「石に 布団は 着せられず」と続くときもあるようです。
石は墓石のことで「墓石に布団をかけても無駄。生きているうちに孝行しなさい」という意味です。
5・7・5の口調に7・5調を加味して風流に纏められており、江戸時代から脈々と続いているようです。日本人は素晴らしいですね・・・。