マナーうんちく話604≪武士は食わねど高楊枝≫
物が豊かで便利になった今は学校教育も大きく変わり、多種多様な教育が施されています。
しかし多くは偏差値を向上させ、上級学校への進学を目的とする教育が多いのも事実でしょう。
ひと昔前、マナー講師としてデビューしたての頃、新聞に掲載されたある有名大学の学部長か書かれた、「大学の本来の役目は思いやりのある学生を育み世に送り出すこと」という記事に大きな共感を覚えた記憶があります。
明治新政府の大きな業績の一つに、100年の計で教育に取り組み「豊かな心」を育ててきたことがありますが、今こそ「思いやりの心」や「豊かなコミュニケーション」の再生を図っていただきたいものですね。
明治の初めは尋常小学校、尋常高等小学校はどんな小さな町や村にも整理されていましたが、中学・高校・大学は非常に少なく、限られた人たちしか進学できませんでした。
学校に行きたくても、経済的理由で進学を諦めなめなければいけない人の方が圧倒的に多かったわけです
今の日本は恵まれていますから、希望者全員が入学できる数の大学があり、学部の数も大変充実しています。
貧しい国の人から見れば羨ましい限りでしょう。
ユニークな学部も多いのも自慢の一つでしょう。
しかし残念ながら、思いやりの心を育む「礼儀作法学部」といったような専門的な学部はありません。
コミュニケーションに関する学部は非常に多いのはうれしい限りですが、ネットコミュニケーションには長けているが「触れ合いコミュニケーション」が苦手な人が多くいます。
ここ数年でスマートフォンが急激に普及し、それに伴いフェイスブック、ツイッターといわれるSNS(ソーシャルネットワークサービス)の発達はライフスタイルまで大きく変えました。
とくに「ライン」は老若男女いずれも日常生活上、切っても切れないくらい大切なインフラになっているようですね。
ここまでは大変素晴らしいことで反論する人はあまりいないでしょう。
ただマナー研修や社員研修、高齢者向けの講演でも痛感することですが、他者とのつながりがSNS上だけという人が大変増加している感があります。
画面の上では巧みな操作を施し、相手と活発なやり取りができる人も珍しくありません。
これはこれで素晴らしいことです。
しかし反面、相手と向き合って「対話」を深めるのが苦手という人も増加傾向にあります。
加えて固定電話での会話ができない若者もいます。
この状態で学生から社会人になれば本人も周囲の人も困ります。
SNSの本来の目的はコミュニケーションを図るためですが、いつでも、どこでも、誰とでも、といった便利さもあってか、一歩その輪から抜け出して、さらに充実した人間関係構築能力を磨いてほしいものです。
また人間関係の希薄化に伴い、引きこもり、孤独、孤立といったキーワードも浮上してきて久しくなります。
本来人は直接会って、顔を合わして、相手や自分の口調、表情、身振り、手振りなどを交え、観て、聴いて、感じて、その過程に中で自分を知ってもらうとともに、相手を理解することができると考えます。
だから私が主催する様々な講座は、殆どの分野で「座談会」を設けています。
便利な時代になればなるほど、できる限り「会って話す」ことをお勧めします。