マナーうんちく話130≪香典の意味とマナー≫
【長寿社会における死の捉え方】
医療制度の充実や医療技術の進歩、平和な社会は平均寿命を飛躍的に伸ばしましたが、同時に新たな課題も投げかけてくれました。
テレビや新聞等で繰り返されている「死をめぐるバトル」がそうです。
以前は事故死や自殺や殺人などを除いて、ほとんどが「自然死」であったものが、今では「尊厳死」「脳死」「心臓死」「安楽死」などという言葉が生まれました。
科学の力で死というものが認定される時代になったということで、死の判定にもいろいろな見解が生まれてきたようですね。
1950年代になり「人工呼吸器」が開発されたことにより、「脳死」という言葉が誕生しましたが、脳が機能しなくなった「植物状態」という言葉も登場し、子どもながら複雑な思いをした記憶があります。
そうなると不必要な延命治療は止めて、人が人としての尊厳を保ったまま死に臨む「尊厳死」がにわかにクローズアップしてきました。
さらにいろいろな苦しみから解放してあげようということで、一定の条件を付けて死をほう助する「安楽死」も生まれました。
【江戸時代にもあった安楽死の概念】
話は少し飛びますが、江戸時代には今ではないユニークな職業があったようです。
例えば高貴な方の娘さんの嫁入りの際に、新婚初夜に性の手ほどきをする「介添え女」もそうです。
これはめでたいことに通じるので頷ける話ですが、とてもなじめない職業も存在していていました。
江戸時代には武士の「切腹」という文化が存在しましたが、自分で自分の腹を切って死ぬのは、いかに武士と言え、大変です。
だから武士の切腹に際して、背後から切腹した本人の首を切り、苦痛を和らげる役目の「介錯人」という仕事が存在していたようです。
苦痛を和らげるという意味では安楽死と似ているようですが、切腹にも介錯にもそれなりの「作法」が存在していたようです。
つまり切腹が儀礼化されていたということでしょう。
日本独特の習俗で、和食の「刺身」や「お造り」という調理の名前まで影響しました。
さらに戦時中には帝国海軍に「神風特別攻撃隊」が存在しました。
お国のために、死を覚悟で飛行機ごと敵艦に突っ込む作戦です。
切腹も神風特別攻撃隊も美化されて語り継がれている面もありますが、いずれも凡人にはできない特別な精神が必要です。
死に対する向き合い方も時代とともに大きく異なるということですね。