マナーうんちく話498≪うかつ謝り≫
「小さい秋」を実感する機会が増えてきましたね。
装い、食べ物、自然の風景などなど・・・。
秋の語源の一つに、穀物などが実りの季節を迎え、食べ物が飽きるくらい市場に出回るので「飽きる」が「秋」になったという有力な説があります。
「食欲の秋」といわれますが、恐らくこのような語源からできた言葉ではないでしょうか。
田舎に住んでいると、実りの季節が着実にやってきているのがよくわかります。
只今暦の上では「禾乃登(こくものすなわちみのる)」の季節、つまり稲が実る時期です。
ちなみに「禾」は稲が穂を垂れている様子を表現した象形文字です。
そして間もなく黄金色の穂波が、風に吹かれる光景がみられるようになります。
何十年も、何百年も続く風景で、米作りに携わってきた人が満ち足りた思いで目にした光景だと思います。
9月4日に上陸が心配されている、非常に強い台風21号が大きな被害をもたらさなければいいのですが・・・。
ところで今はすっかり機械化され、大型機械で効率的に行われますが、昔はすべて手作業で、米作りには88の手間暇がかかるといわれました。
だから稲穂が実ってしなやかに垂れる姿は、まさに多くの苦労が報われるときです。
そんな姿を満足げにみて一句浮かんだのでしょうか・・・。
《実るほど頭を垂れる稲穂かな》。
人は成功して大物になると人柄が自然に謙虚になるという意味です。
徳や学問をしっかり蓄えてきたらこのようになるという例えですが、皆様の周囲にはいますか。
稲は田植えの頃は垂れていません。
むしろ元気よくまっすぐに伸びています。
それが月日とともに水や栄養をしっかり吸収して次第に成長し、花を咲かせ実をつけるようになってくると、てっぺんが垂れてくるようになります。
人も同じではないでしょうか。
謙虚の反対は「傲慢」ですが、社会人なり立ての時期は元気がありすぎて、むしろ傲慢なくらいの人が多いのではないでしょうか。
そして様々な経験を積み、失敗や苦労を重ね、次第に人として成長し、やがてそれなりの肩書がついてくると丸くなり、謙虚になると思います。
謙虚は日本人が美徳としてきた素晴らしい文化です。
和の礼儀作法にも「三辞3三譲」があります。
例えば会席料理の会食会で、乾杯の音頭を急に依頼されても、いくら偉い人でもいったんは遠慮して他の人に譲る精神です。
「私は立場が上ですが常に謙虚な気持ちを持っていますよ」ということです。
ただし、しこれは和のシーンではいいと思いますが、洋のシーンでは通用しませんのでご注意ください。
また「祝い箸」は柳の木で作られていますが、柳は大雪にも耐えられます。
謙虚になって垂れることができるからです。
だから神人共食の祝い箸は「謙虚の大切さ」も解いているわけです。
いずれにせよ日本人にとって米は特別な存在です。
経済ばかりで是非を論じないでいただきたいものですね。