マナーうんちく話535≪五風十雨≫
明治の初めに「旧暦」から「新暦」に暦が変わり、季節感のずれが大きくなったせいですっかりすたれてしまいましたが、9月9日は「重陽の節句」、別名「菊の節句」です。
杯に酒を注ぎ菊の花びらを浮かせていただく「菊花酒」がお勧めです。
菊は仙人の住むところに咲き、長寿のシンボルになっていますので菊酒は延命長寿に効くといわれています。
ところで日本は国家としては世界屈指の長い伝統を有していますが、深い情感を表す心にしみる素晴らしい言葉を保有しています。
加えて四季が明確に分かれている日本には、季節の移り変わりと結びついて、その季節を表す「季語」があります。
ある言葉が一定の季節を表すという捉え方はすでに平安時代の歌人にもみられたようですが、江戸時代に俳諧が確立すると、季語はますます重要視されるようになります。
秋の季語でなじみの深いものとしては芋、稲、菊、案山子、秋晴れ、鰯雲、夜長、仲秋、名月などが思い浮かびますが、「桐一葉(きりひとは)」という繊細でありながら、誠に雄大な季語があります。
桐は高さ10メートルくらいになる落葉高木で狂いや割れが少ないので、箪笥や下駄や琴に使用され、古くから栽培されています。
5月頃に藤の花に似た花が咲きますが、とにかく葉っぱが大きいのが特徴で、他の木より早めに落葉します。
だから桐の葉が落ちることで、先人はいち早く秋の到来を読み取ったわけですね。
風の音で秋の気配を感じた歌が詠まれていますが、ほんの些細な事象から、その背後にある大きな自然の存在を素早く感じ取る先人の感性が、この言葉を作り出したのでしょうか。
常に自然と真摯に向き合い、季節、季節を丁寧に生きてきた当時の人の暮らしぶりが目に映るようです。
さらにこの季語には奥深い意味があります。
「物事が衰退する前兆を感じ取る豊かな推察力」です。
桐の葉は大きな葉っぱですから存在感があります。
それが夏の炎天下で誇らしげに自己主張しているわけですが、次第にその力が衰えて、ついに落葉するわけですね。
だから勢いが衰えていく様を意味します。
《一葉落ちて天下の秋を知る》という言葉があります。
高齢期の声を聞くと秋の訪れは何となく物悲しいものがあります。
人生も秋を迎えるということは、一抹の差寂しさがありますね。
でもせっかく与えられた命です。
身も心も前向きに生きていきたいものです。