マナーうんちく話569≪泥より出でて、泥に染まらず≫
気温が上がり一段と緑が濃くなってきました。
5月21日は二十四節気のひとつ「小満」です。
二十四節気の中でも聞き慣れない言葉ですが、稲作を中心とした農耕文化で栄えた日本にとっては、実はとてもなじみが深い言葉ではないでしょうか。
この時期は麦の穂が実りますが、それを見て少し安心するという意味が「小満」の本来の意味です。秋にまいた麦が成長して、穂が出て来るようになったので、それを見てほっとする、つまり少しだけ満足したのでしょう。
此れが転じて今では、「万物が成長して天地に満ち始めてくる時節」という意味になりました。
そして次第に暑くなり、本格的に田植の準備に取り掛かる時期になるわけです。
ちなみに「麦秋」という言葉をご存知でしょうか?
米は秋に収穫しますが、麦はそろそろ収穫期を迎えます。
だから麦にとっては今頃が収穫の季節になるのでこのような言葉が産まれたようです。
ところで日本人の主食は米ですが、庶民が手軽に米を口にし出したのはごく最近です。
このコラムで何度も「日本は稲作を中心とした農耕文化で栄えた国」と書きましたので、不思議に思われるかもしれませんね。
中世になり二毛作が出来るようになったのはとてもいいことですが、生産者である農民は麦が自分の取り分で、米は口に入りません。
米は全て領主におさめなければならないからです。
さらに江戸時代に入ると、米は年貢として納めなければならず手元には殆ど残りません。米が貨幣の変わりになっていたということですね。
当時は大部分が農業に携わっていたので、殆どの日本人は米を主食にしていなかったということです。
主食は麦や稗、あるいは芋類であったと思われます。
その芋は殆ど里芋で、八代将軍吉宗の時代になってサツマイモが普及したようです。
また粟は日本古来の穀物で古くから主食として重宝されていたようです。
また稗も古来より栽培されていますが、米のように美味しくありません。
しかし栄養価が高いので、不作の年等にはとてもありがたい存在であったと思われます。
そして小満の由来になった麦ですが、弥生時代には栽培されていたという説が有ります。
江戸時代になると色々な食文化が目覚めてきますが、「麦湯」は江戸時代の夏バテ予防にとても効果的な飲み物として人気を集めていました。
現代の熱中症予防ドリンクだったようで、ビタミンB1が沢山含まれ暑気あたりにならないとされていました。
日本は昔から自然と共生し、農業を大事にしてきた文化国家ですが、農業を大切にするということは、即ち生活を大切にし、命を大切にすることに繋がります。
米や麦を経済的側面からのみ捉えるのではなく、命が芽生え、命を育てる「農の心」をいつまでも大事にしたいものです。