マナーうんちく話499≪習慣は第二の天性なり≫
日本の四季の美しさは世界中の人が羨ましがるところですが、年々四季の移ろいに、情緒や繊細さが感じられなくなった気がしますが、如何でしょうか?
例えば、「細雪」とか、「春雨」や「秋雨」のような雪や雨はめっきり少なくなり、その分、豪雪や豪雨が非常に多くなったと感じます。
それにしても昨年は、自然の猛威に思い知らされる事が本当に多かったですね。
唯一の救いは、最近は科学の進歩で豪雪・豪雨・暴風を予報することが可能になり、それに対して、備えができるようになった点です。
ただ地震だけはそうはまいりません。
日本には、「地震予知連絡会」といわれる、地震予知に関する専門的な研究を行う組織が40年以上前から存在しますが、大震災の予知はできませんでした。
日本を代表する著名な学者や専門家が、知恵や経験を結集しても、地震の予知は現在の科学では無理なようですね。
災害は忘れた頃にやってくると言われましたが、昔は少なかったのでしょうか?地震は、ある日突然に、しかも人間の都合にお構いなくやってきます。
何の前触れもなく、突然にやってくるだけに手に負えません。
日本は四季が明確に分かれているせいか、年中行事の数も世界屈指です。
その殆どが、長寿、健康、子孫繁栄、豊作、魔除け、そして災難除けですが、その気持ちがよく解ります。
阪神・淡路大震災から20年経ちました。
6000人以上の犠牲者が出た大災害だけに、20年経過したからと言って、未だに癒えることはありません。
しかも、その後も大災害は絶えることがありません。
東日本大震災もしかりです。
しかもこの災害には、現代の日本人が経験したこともない、とてつもない津波が伴いました。
また、これにより原発事故が発生し、大きな爪痕を残しました。
3年余り経過して、被災地は整備された一方で、家族や地域の人の流動も多々あります。
家族や地域が散り散りになり、地域コミュニティーも崩れてしまいました。
そればかりか、高齢者の孤独死が後を絶ちません。
非常に悲しいことです。
放射能は匂いもなく、目にも見えず、どれ位の被ばくで、いつ、どんな被害が出るのか解りません。学者の言い分もまちまちです。
かつて、日本の原子力発電所には「安全神話」のようなものがありましたが、もろくも崩れました。
被害者の救済は多々残っているのに、原発が再稼動されようとしています。
賛否両論ありますが、事故が起きた時の心配は拭えません。
加えて、向こう30年間に、地震や津波に襲われる危険も指摘されています。
由々しきことですね。
問題はこのような時にどのように対応するかではないでしょうか。
避難訓練だけですまされる問題ではないと考えます。
もしかしたら、古来より自然と仲良く暮らしてきた、先人の暮らしを再認識する必要があるかもしれませんね。
もともと日本は、自然と共生した国です。
だから自然を詳細に観察し、「二十四節季」や「七十二候」と言われる独特の暦を作ったわけです。
そしてこれらの暦には、よりよく生きる知恵が満載されています。
それらを無視して、人間のわがままばかりを通していたら、また山の神や、海の神が牙をむくのではないでしょうか。
マナーは人間のみならず、自然に対しても素敵に発揮されるべきです。