マナーうんちく話569≪泥より出でて、泥に染まらず≫
春は日毎に日が長くなっていきますので、日が暮れそうですがなかなか暮れませんが、秋は「釣瓶落とし」といわれるように、暮れないようで急に暗くなり、長い夜が始まります。
今は夜になっても楽しみはいくらでもありますが、行燈(あんどん)や松明(たいまつ)に依存していた頃は、秋の夜長は、さぞかし大変だったことと思います。
そして、秋が深まってくると目にするようになるのが「紫式部」です。
植物の事ですが、ご存知でしょうか?
今頃になると光沢のある美しい紫色の小さな果実を沢山つける、どこにでもある樹木です。赤色の実は結構沢山ありますが、紫の実は珍しいです。
名前の由来は、江戸時代の植木職人が、平安時代の女性作家であり歌人である紫式部の名前になぞらえて、名付けたと言われています。
ところで、紫式部は「源氏物語の作者」と言われている人ですが、源氏物語と言えば、平安貴族の恋と優雅な生活が思い浮かびますね。
日本の年中行事は、平安貴族に端を発するものが多々あります。
成人式、雛祭り、端午の節句、七夕、重陽の節句、お月見、紅葉狩り等などは、平安貴族から続く日本の美しい習慣で、旬の植物からエネルギーを吸収したり、
お祓いの意味もあったようですよ。
また、十二単(じゅうにひとえ)も優雅な姿であったと思います。
ただ十二単は年中ではなく、貴族階級が住んでいた京都は、夏は蒸し暑く暑く、冬は寒いので、脱いだり着たりして調整していたようです。
しかし、着物はいくら美しくても、当時は風呂があまり発達していません。
蒸し風呂のスタイルだったようですが、毎日と言うわけにはいきません。
従って身体が匂ってくるわけですが、どう対処したと思いますか?
実はこの匂いを紛らわすために「香」が発達したと言われています。
西洋のベルサイユ宮殿も非常に立派な建物ですが、当時はトイレも完備してなく、いわば垂れ流しのような状態だったので、あたり一面匂いが立ち込めており、この臭い消しのために香水が発達したと聞きますが良く似ていますね。
そして気になるのが当時の恋愛です。
電話やメールが無い時代ですから、意思の伝達方法は手紙になります。
しかし、手紙ならなんでもいいわけでなく、「和歌」になります。
つまり、恋を成就させるには、文字や和歌が上手になることが必要なわけです。
一方、和歌を頂いた女性は、返事を和歌で返えさなければいけません。
こうしたやり取りが何回か続きデートとなるわけですが、当時は男性が女性の家に、夜になって出向き、夜が明けぬうちに帰ったようです。
だから、恋に無縁な人は長い夜をひたすら耐えるわけですが、恋を楽しむ人にとって夜が長くなる事は、それだけ逢瀬の時間が増えるので嬉しくなります。
加えて、平安時代の高級官僚たちは、礼儀作法を政治の根幹をなすものとして非常に大切に考えてきました。礼儀作法に精通することが出世の条件です。
そして貴族階級が栄えれば栄えるほど、貴族たちはそれを維持するために、その都度、多種多様な礼儀作法を作り、これらをキチンと伝達する仕組みとして「有職(ゆうそく)」を誕生させました。
有職は、最初は儀礼・典礼・官職に精通した知識人を意味していましたが、やがて儀礼や典礼を意味するようになります。平安時代は400年以上続いており、これは世界に例を見ない誠にすばらしいことですが、公家の政治体制がこのように長きに渡り持続できたのは、ひとえに、このような礼節が維持されてきたからではないでしょうか?
ちなみに、西洋社会にはエチケットが存在します。
これは、フランスの宮廷で開催される煌びやかなパーティーの、参加者のもてなしから生まれた礼儀作法だと言われていますが、いずれも、特権階級を維持するために、礼儀作法が果たした役目は大きかったようですね。
源氏物語は平安時代に書かれた、日本最古の長編小説です。
そして、これを女性が書いたということに世界中が驚いたそうですが、日本人女性は誠に素晴らしかったと思います。
その遺伝子を保有している現代の女性には益々輝いて頂きたいものです。