マナーうんちく話569≪泥より出でて、泥に染まらず≫
日本では昔から、奇数と偶数では奇数が格上とされてきました。
このしきたりは今でも、「7・5・3」、「3・3・9度」、「手締め」の儀式など様々なシーンにおいて生きております。
それでは、なぜ、奇数のほうが格上かと言いますと、奇数は割り切れないからです。勿論、小数点の発想が無い時代の話です。
時代劇によく出て来る、サイコロを二つ使用した「丁半博打」が有りますが、あれは、偶数は丁度割り切れるから「チョウ」で、奇数は割り切れなくて半端になるから「ハン」となるわけです。
ところで、今日、9月9日は何の日かご存知でしょうか?
残念ながら、「重陽の節句」と答えられる人は随分少なくなった気がしますが、如何でしょうか?このコラムをご覧頂いたら、周囲の方に伺ってみて下さい。
古代中国には、季節の変わり目に「節」を設けていたわけですが、それが日本の農業事情と結びついて「節句」になり、一年に5つの節句が出来たわけです。
つまり「五節句」のことですが、重陽の節句はその一つです。
1月7日の「人日」、3月3日の「上巳」、5月5日の「端午」、7月7日の「七夕」、そして9月9日が「重陽」の節句です。
奇数には1・3・5・7・9がありますが、中でも9は一番格が高い数字で有り、しかもそれが二つ重なるから「重陽(ちょうよう)」となるわけです。ちなみに、奇数は格上で目出度い数字ですから「陽」になります。
従って、重陽の節句は、五節句の中でも一番格上で、公共性が高く、重要視された節句だったわけです。
そして、1月7日は「七草の節句」、3月3日は「桃の節句」、5月5日は「菖蒲の節句」と言われるように、9月9日の「重陽の節句」は「菊の節句」とも、「栗の節句」とも言われます。
平安貴族は、盃に菊の花を浮かべて長寿を祈願し、詩歌を詠んで雅やかなひと時を過ごしたわけです。
そして、栗のご飯を焚いて、神様に秋の収穫を感謝する日でもあります。
しかし、9月9日に菊酒を飲んだり、栗ご飯を食べる家庭はめっきり少なくなりました。マスコミも話題にしませんし、スーパーやデパートでもイベントをしませんね。儲けに繋がらないからでしょうか。
旧暦の頃の重陽の節句は、栗が収穫でき、菊の花が咲く頃で、とても身近ですが、新暦の今は菊の花が手に入りません。
さらに、栗の実も大きくはなっていますが、収穫できるには至りません。
だから、少し時期をずらしてでも、この重陽の節句の儀式を復活させたらと思うわけです。
なぜなら、この重陽の節句には、他にも大変魅力的な風習が有るからです。
「着せ綿」の儀式です。
先日「白露」のお話をしましたが、9月8日に菊の花を綿で覆い、9日に露で濡れた菊の花の香りが一杯付いた綿で、顔や身体を拭いたら若返ると言い伝えが有ります。
つまり、重陽の節句とは「長寿」と「若返り」の儀式に他なりません。
世界屈指の長寿国日本に、ぜひ残したい大切な風習だと思いませんか?
子どもに英語を教えることは否定しませんが、日本にはこんなに素晴らしい儀式が存在していると言う事を、先ずは大人が認識し、次世代に正しく伝えることが大切だと思うわけです。
そして1月7日は「七草の節句」ですが、これからは秋の七草の旬になります。春の七草は食用ですが、秋の七草は観賞用です。
ハギ、ナデシコ、オミナエシ、クズ、ススキ、キキョウ、フジバカマを山上億良が万葉集で読んでおりますが、これらの花が、秋の深まりと共に順次咲いて楽しませてくれます。
秋の花が咲き誇る野原の事を「花野(はなの)」といいますが、昔の人は、花野を散策しながら俳句や短歌を詠んでいたそうですよ。