まなーうんちく話798《月々に 月見る月は 多けれど・・・。》
赤い落ち葉が一枚、ヒラヒラと舞い落ちてきました。
これを見て、単なる赤い葉っぱかと感じるか、人生の儚さを感じるか、あるいは自然の精緻さを敏感に捉えるか、大きな違いが有ります。
日本は世界的に四季の美しい国ですが、とりわけ紅葉の美しさは世界一だといわれております。そして、その紅葉を見に行くことを「紅葉狩り」という、これまた大変美しい日本語で表現しています。
紅葉の美しい頃になると、毎年のようにマナー講座で、似たような質問を受けます。
ミカン狩りに行けばミカンを、リンゴ狩りに行けばリンゴを、ブドウ狩りに行けばブドウをそれぞれ持って帰りますが、紅葉狩りに行ったら紅葉の葉っぱを折って持って帰っても良いのでしょうか?というような内容の質問です。
勿論答えは「ノー」です。
では、持ち帰り不可能なら、なぜ「紅葉見物」と言わないで「紅葉狩り」というのですか?と質問は続きます。
答えを解説いたします。
元々、猪や鹿等の「野獣動物」を弓矢や槍等で射止めることを「狩り」といっていましたが、次第に兎や狐などの小動物を射止めることも「狩り」と表現するようになり、やがて薬草を採ったり、草花を愛でることまで「狩り」というようになりました。
平安時代の頃、貴族が山に狩りに出かけました。
獲物を求め山奥に進んでいくと、大変美しい紅葉に出会い、狩りをするのをしばし忘れて、その美しさに見とれてしまいました。
それ以後、紅葉を見に行くことを「紅葉狩り」と言い、貴族たちは紅葉の下に集い、詩歌を詠み交わしたそうです。
また、日本の紅葉狩りは、昔から酒宴がつきものです。
これは恐らく日本独特の文化ではないでしょうか。
その意味は、「春の花見」と同じように、神様への饗応にあると思います。
すなわち、山の幸を、沢山もたらして下さった、「山の神様への感謝」ですね。
すでに何回もお話ししましたが、日本人は古来より、人と人との「和」をとても大切にしてきましたが、同時に自然との調和も同じように大事にしてきましたので、理想的な環境保全が維持されていたわけですね。
今はすっかりデジタルの時代になり、クールビズ、ウオームビズ、エコ等という、商業ペースの都合のよい言葉に置き換えられてしまい、その本質があやふやになってしまった感が有りますが、そのもとは自然に対する畏怖や感謝だと思います。
本当の意味で、自然環境を大切にするということは、自然の仕組みをよく理解する必要も有ると思いますし、それが自然に対する究極のマナーではないでしょうか。
さらに、そうすることにより、紅葉の楽しみ方も格段に増してくると思います。
自然への感謝を忘れ、また、自然の精緻さを理解しないで、口先だけで、自然環境を唱えるのは、おかしな話だと私は思っています。
この場に及んで、まだ原発を推進する気配が有りますが、とても不安です。
世界一美しいといわれる日本の紅葉は、日本国民全ての大切な財産です。美しい状態のまま後世に伝えなければいけません。
放射能に汚染された紅葉には、さすがの神様もうんざりだと思います。