マナーうんちく話569≪泥より出でて、泥に染まらず≫
晴れの国」岡山の夏の夜空を美しく彩り、老若男女の喝さいがこだまする、県下各地での花火大会。それは、日頃の慌ただしさや節電によるストレスを忘れさせてくれる、大変ぜいたくなひと時でもあり、格好の避暑でもあります。
そして、故郷をこよなく愛する人々により、長い間受け継がれてきた、郷土の伝統行事でもあり、夏の風物詩でもあります。
平成13年に、「岡山桃太郎まつり」「岡山夏祭り・うらじゃおどり」「納涼花火大会」がいっしょになり、「岡山桃太郎まつり」となって、もう10年にもなりますかね。
ところで花火が日本にもたらされたのは、鉄砲伝来の頃だといわれています。鉄砲も花火も、キーワードは「火薬」ですから、なるほどと頷けますね。
最初は、例外なく一部のお金持ちの、この上ない贅沢な娯楽だったのでしょうね。
そして、それが徐々に、一般庶民の生活水準の向上や文化の発展等に伴い、庶民にも普及したというのが有力な説のようです。
ただその頃は、今のように轟音と共に、華麗な大輪の花を咲かせる打ち上げ花火ではなく、「線香花火」みたいな感じのものだったと推測されます。
そして、1730年代に、ついに「打ち上げ花火」が登場します。
ただこの打ち上げ花火、「打ち上げられた目的」が、今の娯楽中心の花火大会とは大いに異なる所です。皆さんは、どのように想像されますか?
日本史のお好きな方は容易に想像されると思いますが、1773年(享保18)に西日本で大飢饉が発生しました。享保の大飢饉です。
さらに、江戸ではコレラが大流行しました。
西日本の飢饉と、江戸のコレラで多くの尊い人命が失われました。
そこで当時の将軍徳川吉宗は、亡くなった人々の霊を慰めることと、蔓延しているコレラの封じこみを試みたわけです。
このコラムでも依然触れましたが、当時は、先祖の霊を、火を焚いて迎えたり、見送ったりする風習がありました。盆の「迎え火」「送り火」、正月の「ドンド焼き」がそれですね。
また、悪霊や鬼などは、「強い臭い」や「大きな音」を嫌うとされていました。菖蒲、鰯の頭等がそれですね。
これに加えて、夏は食中毒が発生したり、疫病が蔓延する時でもあります。
そこで、徳川吉宗は、1773年の夏、隅田川で、大きな打ち上げ花火を挙げたわけです。
いまでも、ご先祖の霊をお迎えするお盆の頃に花火大会が多いのは、その名残のようです。
先日、テレビで、ソマリアが干ばつによる大飢饉に陥り、多くの餓死者が出ていたニュースを見ました。ソマリアはこれに内戦が絡んでいるからなお複雑です。また、地球上の人口69億人中、飢えと戦っている人が何億人もいるという事実も見逃せません。
東北地方の惨事も、まだまだ終息のめどはたっていません。
浴衣や着物を着て、うちわを持って、美味しい生ビールの飲みながらの花火見物は、日本人の心に強く響くものがあり、最高の娯楽です。
岡山の花火大会しかりです。名城「烏城」をバックにした、大輪の花火は、ダイナミックで荘厳です。観衆を圧倒させる魅力が有ります。仕掛け花火も見る人全てを魅了します。
今年の花火大会を充分楽しんでいただいたら、花火の歴史的背景や、地球上には、飢餓に苦しんでいる人達が多くいるという事実にも、思いをはせたり、思いやりの心を発揮してみられるのもお勧めです。