マナーうんちく話502≪会話の中に季節の話題を積極的に!≫
マナーうんちく話72《なぜ鯉が空を泳ぐの?》
なぜ端午の節句には鯉のぼりが空を泳ぐの?
5月5日は、子どもたちの健やかな成長と幸福を願う「子どもの日」です。
さらに女の子のお祭り「桃の節句」に対し、男の子のお祭り「端午の節句」でもあります。
もともと中国から伝わった風習で、奈良時代には「菖蒲」や「よもぎ」で厄除けをしていたのが、鎌倉時代には「菖蒲」が「尚武」&「勝負」に転じ、江戸時代に入って、男の子の健やかな成長と出世を願う行事として定着したという説が有力です。
部屋には桃太郎や金太郎等の「五月人形」を始め、「鎧」や「兜」も飾りますが、いずれも男の子に逞しく育ってほしいとの願いからです。
また、「柏餅」を食べますが、柏の葉は、若い葉がでないと古い葉が落ちないので、その家の「跡継ぎが絶えない」ということを意味します。
そして、菖蒲やよもぎを風呂に入れるのは、菖蒲やよもぎは、独特の臭いがする薬草で、「魔除けの意味」があります。さらに「菖蒲」⇒「尚武」⇒「勝負」になるので縁起を担ぐ狙いもあります。
前回お話ししました、「鰹」が「勝男」に通じるのと同じような理屈ですね。
今回は「子どもの日」にちなんで、「鯉のぼり」について触れてみます。
鯉のぼりが空を泳いでいるのは、一般的には「鯉が滝を登り、やがて竜になる」という、中国の故事に倣って、男の子の立身出世を願ったものですが、本来の意味は、これとは少し異なるようです。
民俗学では、もともとは「鯉幟(のぼり)」より、鯉のぼりを吊るす「柱」の方に大切な意味があると推察しているようです。
つまり、柱を立てることにより、その柱を目印に神様が降りて来られるわけですね。
その柱に、いつの間にか鯉が吊るされ、現在のスタイルになったとか。
このコラムでも、正月を迎える準備として、玄関に「門松」を立てる理由は、その門松が神様の依り代(よりしろ=目印)になるからだとお話ししましたが、それと同じ理屈ですね。
ところで、桃の節句にせよ、端午の節句にせよ、いつの時代も、親が子を思う気持ちは変わらないようですが、最近の子どもの気持ちは大きく変わってきた気がします。
「末は博士か大臣か」。
私たちの小さい頃に、「賢い子どもを称賛する言葉」として良く耳にしました。
私は言われたことは一度もありませんが、周りには結構いたのを記憶しています。
その当時の博士や大臣は、多くの人のあこがれの的でしたが、今はすっかり魅力が衰えた気がします。大学は全入時代になり、博士号を取得していても就職できない人も珍しくなくなり、大臣も昔みたいに威厳は感じられませんね。
そして何よりも、立身出世を願って豪華な鯉のぼりをプレゼントされても、プレゼントされた子ども自身に、出世の意欲が薄れてきているようです。
良い悪いは全く別の次元ですが、出世するより、家庭を持ち、家事や子育てを夫婦共にして、「ささやかな幸せ」を追求している若者が増加傾向にあるようです。
しかし今は、そのささやかな幸せを実現するのが困難な時代ではないでしょうか?
このような現代事情、鯉のぼりの柱を依り代に降臨された神様は、どのように思われるのでしょうか・・・。