マナーうんちく話569≪泥より出でて、泥に染まらず≫
マナーうんちく話55《日本人とお花見》
四季が明確に分かれそれが大変キレイな国の日本人は、単に花・草・木のみならず、雨・雪・風・月、星さらには四季の移ろいに至るまで、それぞれに大変美しい名前をつけています。このことは日本人が、感性豊かであると共に、自然を崇拝し自然と調和を保ってきた証ではないかと思います。
キリスト教では、自然の管理者が人間であると説いているようですが、神道の国日本では、自然と人間との和を説いています。
何もかも高度に進歩した地球上における現在の課題は、「平和」と「環境保全」だといわれておりますが、この観点から言えば、日本人は共に素晴らしい遺伝子を持った国民だと感じます。私は個人的には、今流の「クールビズ」「ウォームビズ」なんかとは比較にならないほど素晴らしいことだと思っています。ただそれが現代社会にどれくらい受け入れられるかは疑問ですが、今回の原子力発電所の事故をみてもその思いは強いものがあります。
そして昭和になって、その素晴らしいDNAを持つ日本のマスコミは、気象現象にまで大変美しいネーミングをつけてくれました。「桜前線」です。
桜の開花日とは、その標本木で5-6輪以上花が咲いた状態です。そしてその桜の開花予想日を結んだ線が「桜前線」で、昭和42年頃から用いられております。ちなみに桜の標本木は、比較的気象台から近くで、環境が変化しにくいところの桜の木が選ばれますが、岡山県は、県下有数の桜の名所でもある後楽園の中に有ります。また香川県は栗林公園の中です。
そして今年の「第2回目の開花予想」では、日本各地の桜(ソメイヨシノ)の開花日と満開日は平年並みとのことです。満開とはつぼみが80%以上開いた状態をさし、平年並みとは過去30年間の累年平均値と比べてプラス・マイナス2日以内のことです。
岡山県では3月31日開花、4月7日満開だそうです。
東北地方は4月中旬ごろの開花で下旬ごろ満開のようです。その頃には少しでも落ち着きを取り戻し、桜の花を見て明日への希望を抱いていただきたいものです。
日本人は兎に角、桜が好きであります。
桜の咲く時期になると心がウキウキしてくるのは、日本人ならではの遺伝子のようですね。ということで今回は「花見の起源」に触れてみたいと思います。
花見の席での雑談の参考にして頂ければ嬉しいです。
●元々は豊作を祈願する農耕行事
その昔、春は山から神様が降りて来られて「田の神」となられ、農作業や作物の成長が順調にいくように見守ってくれる季節であり、庶民はその神様を山にお迎えに行き、そこで神様と人とが一緒に飲んだり食べたりする儀式だったそうです。
そして、桜はその神様が鎮座される場所とされておりました。
其の当時の人たちは、桜の花の咲き具合や散り具合を見て、作柄を占ったり、桜の下で飲食をしてその年の豊作を祈っていたのですね。
すなわち、桜の花がきれいに咲くことを祈願することで、稲が豊作になることを願ったと思います。桜にはそんな特別な機能があったと考えられます。
このコラム欄でも「正月のしきたり」で取り上げましたが、正月に神様が家においでになり、そこで鎮座する場所が鏡餅で、神様と人とが一緒におせち料理を食べる時の箸が「祝い箸」だと申しましたが、それによく似ております。
●日本人の感性の豊かさ・美意識を象徴する貴族階級たちの花見
元々貴族階級の間では、そのステータスを象徴する花は「梅」だったようです。梅は中国からの留学生がその株を日本に持ちかえり、貴族階級の間で広まったとされています。万葉集には多くの花が詠まれていますが、その花の中で一番多く読まれている花は、秋の七草の一種でもある「萩」で、2番目が「梅」で120首位あります。桜は20首から30首位です。
そして、平安時代の頃から「梅」から「桜」に価値観が変化してきたようで、日本の各地に古くから自生していた桜への関心が次第に高まっていったようですね。さらに「古今和歌集」では、桜は日本を象徴する特別な花として取り上げ、この時点で「日本人=桜」という基盤が確立したという説が有力です。
●江戸庶民の心意気が花見文化を満開にさせた
少し話が横道にそれますが、平安時代と江戸時代。
日本史に詳しくない人でも日本人なら殆どの人がご存じだと思いますが、この時代は実に「すごい時代」なので有ります。それも世界史上前例のないことです。
皆さんはお気づきでしょうか?
平安時代は794年に桓武天皇が京都に都を移し1192年に鎌倉幕府が成立する約400年間で、江戸時代は1603年に江戸幕府誕生から1867年の大政奉還までの265年間です。
この時代は共に国内において戦争がありません。こんなに長い期間戦争が一度も起こってない国は世界広しといえど、日本だけです。
そして平和な時代には、多くの文化が栄えていることを歴史が証明しております。平安の時代は貴族の文化が栄えたようですが、江戸時代に入ると庶民の文化が勢いを増してきました。日本が世界に誇る「礼儀・作法」が庶民階級まで浸透したのもこの頃だといわれております。この点については、後に詳しく触れてみます。
また、この頃になると、「農事としての花見」と「貴族階級の美意識としての花見」が一般庶民の間でコラボレートして、「娯楽としての花見文化」が開花しました。一方江戸幕府も盛んに桜を植えて、それに拍車をかけていきました。浅草・上野・隅田川、吉野等など。さらに花見に追従した多くの文化も花開き、武士も町人も一緒になり盛り上がったようですね。
芝居見物をさらに楽しくするために、芝居の幕と幕の間に食べる「幕の内弁当」が考案されたのもこの頃ですが、同時に「花見弁当」「花見団子」等もすでにあったのではないかと思います。
●本当の花見の楽しみ方とは
桜前線北上の便りと共に、花見の計画を練っておられる方も多いのではないでしょうか。
花を愛でたり、月を愛でたりする国民は色々存在すると思いますが、このように桜や紅葉を愛でながら、ご馳走を食べたり酒を飲んだりする国民はほとんどいないと思います。
花見は八百万の神がいる国、四季に美しい国ならではの、世界に誇れる伝統行事ですね。
最後に平松流の花見についてふれておきます。
それはずばり、「どこに行くか」より「誰といくか」です。
昨年の晩秋の頃、「紅葉狩り」のコラムでも同じことを書きました。
長い人生、「花見を一緒に楽しめる相手」がいることは実にすばらしいことです。相手のいる人、改めてその相手に感謝して下さい。
今年はドンチャン騒ぎの花見は自粛傾向にあるようですが、こんな時こそ、一人にせよ複数にせよ、世界に例を見ない、日本人が築き上げてきたすばらしい花見文化に思いをはせながら、心豊かに味わって見られては如何でしょうか・・・。