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井上博文

大学院・大学編入受験のプロ

井上博文(いのうえひろふみ) / 塾講師

株式会社コムニタス

コラム

あらためて学問の自由

2020年10月26日

テーマ:京都コムニタス設立の理念

コラムカテゴリ:スクール・習い事

少し前またやってきた恐怖というコラムを書きましたが、政治が学問の側に手を突っ込んでくることについて触れました。
ここで学問の自由とは政治からの自由であると書きました。また前京大総長であり、前学術会議会長の山極寿一先生が京都新聞にこの件について寄稿しておられます。とても重要なことを書いておられます。
こちら

この山極先生を諸悪の根源と大変失礼なことを言った前の大阪市長は、学術会議について論点を定めず、意味不明なことをいろいろ言いますが、是非彼には学術会議の政治介入に反対することを表明している学会一つひとつに足を運んで、そこの学者たちとメディアの前で論戦もどきをして欲しいと思います。まず都合が悪くなると論点をずらす彼に、学問の側と正面から議論することはできないでしょう。まぁそもそも学術側が相手にしないと思いますが。この人物と同様、国家権力が学術に手を突っ込んでくることを容認する人は、少なからずいるような印象を受けますが、こういった人は国家=政治権力者というように考えている傾向があります。そして民主主義=選挙であると、一面的な見方を表明することで「わかりやすい」ふりをするクセがあります。大変たちの悪いやり方です。以前祈りとはというコラムを書き、そこで少し「保守」という言葉にも触れました。核兵器禁止条約の批准国・地域が24日、50に達しましたが、この国の政治家はあくまで批准しないのだとか。その人たちが「保守」を名乗ったり、メディアがそう評価するのですが、かつて核によって破壊しつくされた広島や長崎の人の声を無視して、世界の多くの人の願いを無視するのが、保守だとは少なくとも私は思いません。またこの政治姿勢=日本だとは、世界各国に思われたくありません。だからこそ、三権は国家の一部としての独立した権力ですし、その権力から距離をおいた国家機関としての学術団体の結集体が必要なのです。学術団体は、それこそくせ者の集まりでしょうから、多様(すぎる)考え方があります。その多様でありながら、理性を持って、政治の暴走から距離を置くのが学問の自由です。
ここに来て新たに論点になりつつあるのが、「軍事研究」に関することです。どこからどこが軍事研究になるかは本件とは関係ありませんが、学術会議が言うのは上の記事にもありますが「軍事目的のための研究は行わない」ということです。このくらい言っていたとしても、政府を上に見るヒラメ学者が出てしまえば、忖度して軍事目的研究をして、政府におべんちゃらをしたがる研究者も出てしまうでしょう。以前ついに来てしまった恐怖というコラムでも書きましたが、軍事目的研究というと武器などを想像するかもしれませんが、かつてナチスに加担した仏教学者さえいたのです。考古学的にナチスやドイツの優位性や正当性を主張させることを目的とし、補助金を大量に出したわけです。当然、それに加担せざるを得ない学者も出てしまいます。

また、私が院生になって間もない時のことですが、仏典翻訳部というところに出入りしていた時、長尾雅人という日本にチベット仏教学を導入して大成した偉大な仏教学者が来ておられました。関西の仏教学者の巨人です。別にそんな仰々しい話をしに来たわけでもなく、かなりフランクにプライベート研究会で来ておられましたが、M1の私にはその仙人のような姿に緊張しまくったことを覚えています。
そのとき、ふとした会話の中で、もちろん、私との会話ではなく、当時まだ若手の私の師匠たちとの会話の中で、
「誰も戦争なんてしたくなかったし、まさかほんまに戦争になるなんて誰も考えてなかった。でも誰もあまり興味を示さんかったら、気づいたら戦争になって、気づいたら、誰が何を言っても届かんし、言ってはいけない空気になって、みんなが黙ってしもた。そしたら気づけば取り返しのつかんことになってしもた」
こんなことを仰っていました。当時はそんなもんなのかなくらいで考えていましたが、20年以上たって、今、まさにそんな状況です。『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』の著者の先生は今回外された中に入っています。学術会議が何の反省のもとに生まれたかは明白です。

前政権から今の政権になっても、私は強い違和感と恐怖感を持っています。何に対してかというと、学問の自由を脅かされるという恐怖です。前政権から継続されることは、学問とは全く相反する考え方です。「説明をしない」「相手を無視する」「話を聞かない」「理由を言わない」「嘘をつく」「証拠を出さない」「証拠を改竄する」ということは、私自身も「絶対にやってはいけないこと」として、かなり強く言われてきましたので、身体にたたき込まれていると思っています。もちろん、いつでも例外はいます。私が裁判で勝った人は、博士号を取った人のようですが、嘘はつくは、私のコラムを「証拠」と称して理屈にもならない理屈を叫んでいましたし、スタップ細胞事件では、学問への信頼が揺らいだと思います。しかし、それは、そもそも強固な学問への信頼があるからこそ、揺らいだのです。

少し考えてみるとわかるのですが、私たちの周りに学問的成果でないものを探す方が難しいと思います。今、PCを使ってこのコラムを書いているわけですが、私の見るもの、触れるもので研究成果でないものは何もありません。京都コムニタスの校舎の建物も研究成果が多分に含まれています。下にローソンがありますが、飲むもの、食べるものすべて研究成果としての化学物質が大量に含まれています(最近極力食べないようにしていますが)。

よく、「こんな研究が社会の何の役に立つ?」という人がいます。私から言わせると、役に立っていない研究を探す方が難しいと思います。

繰り返しですが、国家=政治、国家=政府ではありません。国家とは多様なものであり、長い歴史と文化があり、考えれば考えるほど、深い歴史があるほど、多様性が見えてきます。保守とは国家の血肉であるその多様性を大切にすることであるし、その多様性を詳しく知る知者を大切にすることでもあります。「国家機関」が選挙で選ばれた一部の政治家で形成する政府だけのものであろうはずもありませんし、政治から自由になった学術団体が国家機関に必要なのです。学問の自由は、特に偏った異様な政治からの自由です。


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