不可思議を考えてみる1
先日、日本人生哲学感情心理学会の大会があり、私も東京に出張してきました。菅沼憲治先生が会長職を退任され、新しい会長が選任されました。菅沼先生は25年間この学会のために尽力してこられました。退任にあたり、もっと反対の声も出るのかとも思いましたが、皆さん、菅沼先生の功績を思えば、何も言えなかったと思います。そうは言ってもまだまだ菅沼先生にはご活躍いただけると思いますし、日本のREBTにとってやはり菅沼先生はなくてはならない方です。菅沼先生のREBTに魅せられて、私はREBTを始めました。最初は、「仏教と似てるな」くらいの印象だったのですが、深く入り込んでいくにつれて、単に似ているだけではなく、仏教を理解するためにも必要だと思うようになりました。そんな時、菅沼先生のカウンセリングに触れて、衝撃を受けたことを今も鮮明に覚えています。とても「心がこもっている」と感覚的に思いました。それと同時に、「これは真似できない」とも思いました。菅沼先生に質問をすると、「自分なりでいいんですよ」と言っていただきました。心がこもっていれば、自分良いと思うものをどんどん取り込んで、自分なりのREBTを作ればいいのだと教えていただきました。仏教もそのままなのです。インドで生まれた仏教は出家宗教でした。出家とは生産活動の放棄です。だから食事は、すべて一般人からもらったものを食べなければなりません。だから、食事は、煩悩を産む煩わしいものとさえ、考えられていました。出家者は、自分が食べたいから食べるというよりは、在家者の来世の生まれ変わりのためのポイントのために食べてあげていたのです。
それが日本に来て、中世、鎌倉幕府の時代、親鸞と同じ時代、道元禅師(1200-1253)という傑物が出ました。この人は禅宗をひらき、総本山を永平寺におきました。道元は食事を大切に考え、修行道場の食事番に高い地位を与えました。これを典座(てんぞ)と言い、現代に引き継がれています。今で言えば、精進料理を作る人です。道元はこの典座のために『典座教訓』という書物を書きましたが、とても詳細にその心構えについて書いています。米のとぎ方、素材の扱い方、味付けなどなど、実に細かく記載されています。その根底に宿るのは、「心を込めて作る」ということです。味付けは、五味ともう一つ淡い味という私にはわからない味が書いています。これらをうまく混ぜあい、融け合わせて、味を作るのです。栄養学の論文では最近の精進料理は塩分が多過ぎるそうです。現代人に迎合したのかもしれません。
その料理に込められた心は、修行僧たちが受けとります。彼らの食べるための心構えは『赴粥飯法』(ふしゅくはんぽう)という文献に記されました。決して食べ散らかすのではなく、うまい、まずいでもなく、高い、安いでもなく、典座の心を食事を通して受けとるのです。これも修行の一つとなります。
私たちも心をこめて、込められた心をうけとれるように修行したいものです。
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日本人生哲学感情心理学会の理事長を務める心理学者
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