過保護とよく見るの違い
最初から語弊のある言葉を使いますが、とても不愉快な記事を読みました。「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由という記事です。別に私の不愉快などどうでもいいことですが、これは本当に嫌な気持ちになりました。もしかすると、私の考え方が歪んでいるのかもしれませんので、私が正しいと思って以下を述べるわけではありません。ただ、・・・繰り返しますが不愉快です。別に筆者が嘘を言っているとは思いませんし、間違っているとも思いません。事実の側面を伝えていると思います。筆者の主張は文章の最後にまとめられています。
「教育における地域格差の帰結をあらためて言い換えれば、それは「同じ学力の子供が、田舎に住んでいるという理由だけで、都市に住んでいれば受けられたはずの教育の機会を奪われている」ということである。そして、「知っていたら大学に行っていた」人口は、間違いなく、かなりの数にのぼる」
この箇所なんだろうと思います。これを否定するつもりはありません。私自身もこのような人がいることを承知しています。ただし、この方が対象として寄り添っているのは、ごく一部の、「彼のようなエリートで、知っていさえすれば、自分のような道に進めた、実はたくさんいる人々」なのだろうと思います。私とは思想が合わないので勝手に不愉快になったのだと思います。
私自身のことを言えば、大学受験の時期を思い起こせば、田舎と言えば田舎でしたが、私の住んでいた地域は、当時「中学生時代オール5の大学に行けない学生を作る地域」と言われていました。正直なところ、偏差値もよく知りませんでした。関関同立のすべてを言えませんでした。はっきり言えば興味がなかったのです。当時は、詰まるところ、行きたいと思った大学に行ければ、あとはどうでも良かったのです。行く予定もない大学の偏差値や過去問など見ても意味がないと考えていたのです。その考え方は、大学院に行って、大手の予備校で講師をするまで、あまり変わることはありませんでした。私はスポーツ推薦で高校に行きました。高校に行く目的はそれ以外にありませんでした。だから、勉強に関する情報など、入手するという意識もなかったのです。多分、筆者の考えからは、私のような人間は漏れていると思いますし、関心も持ってもらえないと思います。
でもそれは、誰がなんと言っても自分の問題です。国のせいでも社会のせいでもありません。これだけははっきりしておきたいと思います。いかなる地に住んでいようとも(おまえは田舎の実態を知らないから、そんなことが言えると言われようとも)、そこは自己責任論をかざしたいと思います。例えばスポーツの世界なら、わざわざ遠方まで野球留学をする人は少なくないのです。スポーツエリートは、確実に田舎の方が多いのです。また、筆者は、「私自身が偶然によって東京の大学に進んだ。ということはつまり、別の偶然によって田舎に留まることも大いにありえたのである」と言いますが、狙いすまして東大に行く人など、総受験者数からみたら、ごく一部です。今の日本の大学受験システムの場合、特に私立大学の場合、かなり多くの人が、「偶然」今の大学に行っています。
「そして私は、もし過去に戻ってみずからの意思によって進路を選択できるのなら、迷うことなく前者を選ぶ。なぜなら、大学進学は選択肢を可視化するためである。「知らなくて損をする」という可能性を小さくするためである。私が必要だと思うのは、こうした偶然性に翻弄される田舎の子供たちに、彼らが潜在的に持っている選択肢と権利とを想像させてやることであり、ひいては、東京をはじめとする都市部に住む人びとに、もうすこし田舎の実態を想像してもらうことである」
この方は、語弊を承知で言いますが、エリート意識が強いのだと思います。この方が寄り添っている子どもというのは、おそらく、「仮に子どもの時から東京などの都市部に住んでいたなら、情報難民にならずに、(自分のように)エリート街道を進めたであろう人が、田舎には実はたくさんいるのだ」ということなんだろうと思います。大変申し訳ありませんが、全く同意できません。
「くりかえすが、機会の問題ではなく想像力の問題なのだ。田舎ではそのような発想じたいが不可能なのである。田舎者は、教育の重要性はもちろん、インターネットの使い方もろくに知らない人がほとんどである。そのような情報弱者に、みずからの社会的地位の向上のためにインターネット教育を利用することを期待するという発想は、都会人の想像力の貧困を示していると言わざるをえないだろう」
この一節は、もう一つ筆者が主張したいことだろうと思います。田舎では想像力が封鎖されるかのごとき言い方になっていますが、これも違うと思います。田舎の定義にもよると思いますが、想像力に不可能はありません。確かに環境に左右されます。不利益を受けるエリートもいるでしょう。でも、情報がなくとも、エリートを知らずとも、東大に行かずとも、本人の出会いと、努力で何かが変わるという想像力は、田舎ということでもって制限がかかるとは私には思えないのです。京都コムニタスには、やはり、田舎出身であり、情報不足であったため(と本人が考えており)、地元の国立大学に行ったが、大学院は都市部の大学院に行きたい、東京でなければ意味がない、賛否はともかく、こう考える人に少なからず出会ってきました。私はこういった人たちをむしろ肯定してきました。筆者のようなエリートではありませんが、ある程度経験を積んで、自分の未来にさらなる可能性を想像し、そこから自分の人生を切り開こうとする人々の手助けをしたいと思い、当塾を運営してきたことも事実です。
自分の育った環境を、それはそれでよしと受け入れ、その上でさらに積み上げていこうとし、成長する自分に対して想像力を張り巡らせる。私はこういった人々に寄り添って、これからも京都コムニタスを運営していこうと考えています。
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