京都学園大学工学部設置構想に思う
最近あまり言わなくなりましたが、以前は結構多くの相談者に、「大学院にいく準備はできていますか」と、漠然と聞くことがよくありました。大学院に行くということは、基本的には勉強をしにいくのではなく、研究活動をしにいくということになります。だから、大学の先生はそれを前提で話をします。しかし、研究活動に対して、心と身体の準備ができていない人は、やはり的外れな発言が多くなってしまいます。
「大学でせっかく勉強したので、もう少し勉強を続けたい」
このようなことをいう人は多いと思うのですが、大学院の先生は、もっと具体的にどのような勉強をどうやってして、どんな成果をあげたいと思っているのかが知りたいはずです。
「大学院で●●を習いたい」
基本的に大学院は習うところと言うよりは(もちろん、一切習えないと言っているわけではありません)、具体的に自分でどんなことを疑問に思い、その疑問を解くには一定の力がいるので、それを身につけるために学びを深めるという流れが必要です。
「●●先生に教えて欲しい」
最近、レジャーランド化した大学に行くことが当たり前になってしまった人にとって、大学というところは、「お客」として、「行ってあげている」と考えている人は少なからずいるようです。しかし、大学院はレジャーランドではありませんし、大学の先生は学部と大学院は全く違うものと考えています。それは組織図上の違いではなく、大学生は、言ってみれば子どもと考えており、親(保護者)から預かっているという感覚の人が多いようです。しかし、大学院生になると、年齢的にも突然大人扱いになります。「子ども」から「若手」にランクアップします。若手であっても研究者には違いはありませんので、甘えは許されません。だから例えば研究室訪問の際によくあることなのですが、本人はよかれと思っているのかどうかはわかりませんが、「教えてほしい」「習いたい」と目当ての先生に言うと、本人にしてみれば意外にも「私は教えませんよ」なんて返されて、ショックを受けて帰ってくるというパターンです。
以上の意味で、大学院に行く準備というのは、学科の勉強をすること以上に、大人になり、覚悟を決めて、すべて自己責任のプロの世界に飛び込むために心身の準備をすることだということが言えると思います。例えば、音楽で食べていく、漫画家として生きていく、スポーツ選手として生きていく、といった選択と似ていると思います。それを踏まえて、しっかりとした準備をしておくことが必要なのです。
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