面倒見のいい大学と大学生の学力
自身最大の発明を悔やんだ6人の科学者という記事を見ました。要するに、偉大とされる研究者が、自分の研究が戦争応用されたことを後悔しているということだと思います。オウム事件の時もそうでした、ある意味、純粋に研究に打ち込んだ(打ち込みたいor 他のことをしたくない)人が、研究だけしていればいいという環境を与えられたときに、気づけば恐ろしいものを作っていたということはあり得ると思います。純粋にまっすぐに人を合理的に傷つけるものを作ったのだと思います。
しかし、ノーベルに代表されると思いますが、それで巨万の富を得たこともまた事実です。これをノーベル賞という形で、研究の世界に大きく貢献したことで、ノーベルは偉人ということになるわけですが、何とも悩ましいことです。研究者なら、自分の研究がパラダイムシフトを起こし、世のため、人のためになるなら、そこに人生をささげたいと思う人は多いでしょう。しかし、自分の研究が大量殺戮に使われるということを想像できなかったという点については、私は疑問を持っています。
現代は倫理委員会がありますので、あまりにも問題のある研究は、そこで突っぱねられます。特に院生は、そこで研究倫理について学びます。ちなみに私は、仏教学の良いところは、ブッダの説に関連することを純粋に研究している限り、研究者が誰かを積極的に傷つけたり、不安をあおったりすることは、通常は考えられない点にあると見ています。しかし、医学や心理学などは、多くの場合、人に直接介入しますので、かなりの倫理観を身につけておかねばならない時代になっています。そのような観点から見た場合、少なくとも人々の役に立てようと考えたのなら、オウムの純粋真っすぐな研究者とは異なっていたはずですから、自分の研究がどのくらいの反作用を持っているか、それを知った人を殺したい連中が、その研究を莫大な金でスカウトが買いに来るということに本当に気づかなかったでしょうか?疑念があります。今我々が便利なグッズとして持っているものの多くは軍事用品のお下がりです。その流れを考えると、彼らの研究が無駄であったとは思いません。しかし、できれば後悔するような研究はしたくないものです。
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