京都学園大学工学部設置構想に思う
同じようなことを何度も書いてきましたが、ほとんどの学問分野において、理系、文系問わず、すぐに役に立つ分野などありはしないのです。
無駄と決めつけない、役に立つとも決めつけない
最初から役に立つと決まっている学問分野などない
役に立つ分野?
どうもこのことはとても理解されにくいようです。ちょうど新元素「ニホニウム」の名称案が発表され、その研究代表の先生が、堂々と「直接生活の役には立たない」と言い切った上で、「アジアの一員の日本が発見者となり、元素の周期表に一席を占めたのは大きな意義がある」と情熱的に語っておられたことに、勇気を与えられた研究者はたくさんいたのではないかと思います。私の個人的なイメージでは、研究とは、ファッションショーでモデルが着るような服を作ったり、F1の車を作ったりすることをイメージするとわかりやすいと思います。ファッションショーの服を外で着たら、動きにくいでしょうし、ヘタをすると、逮捕されてしまうかもしれません。F1カーなんて、一般道で走れたとしても、免許証が何枚あっても足りなくなるでしょうし、車自体もパフォーマンスが悪すぎて故障してしまうでしょう。しかし、F1カーの開発で培われた技術は、車の発展に大いに貢献しましたし、安全性能も格段によくなりました。F1レースだけ見れば、資源の無駄使いにしか見えませんが、少なくともこの国の経済において自動車の占める割合はかなり大きいのは誰しもが認めることでしょう。このような開発には終わりはなく、どんどん進化します。私が高校生くらいのころ、ホンダエンジンは世界最強と言われていました。しかし、今はそうではありませんし、当時のエンジンを持ってきてもまったく通用しません。どんな研究分野もそうです。仮に歴史学でも同じです。どんどん進化しているのです。数年前まで常識だったことは、今の非常識であることはまったく珍しいことではありません。研究者はこの最前線で、ありとあらゆる分野の最先端を目指しているのです。あるいは誰も気づかなかったことに気づこうとしているのです。またあるいは、これまで誰もなしえなかったことに挑もうとしているのです。これは情熱がなければできることではありません。役に立つかどうかだけでは、大航海時代はなかったでしょうし、仏教とてこの国に届かなかったかもしれません。この情熱を支える人や企業、国などの公共が必要なのです。それが、長い目で見て、国や産業の発展につながり、さらに長い目で見て、人々の生活を変えていき、よりよい生活ができるようになるのです。すべては積み重ねなのです。研究をする人は、100年以上前からの研究史をイメージして、その積み重ねにリスペクトし、その体系に畏怖し、その無数の星のような体系の中の一つに自分を差し込むことを希望します。自分が、その体系の中のどこに位置するのかが見えるようになるだけでも、それなりの時間がかかります。現代は、学際的であることが求められますから、自分の体系だけではなく、別の分野の体系との連絡までも求められます。
そうであるにも関わらず、国という名前の役所やらナントカ省およびメディアは、すぐに役立つかどうかを求めます。新元素が「役に立たない」と聞いて、堂々と「驚いた」と言い切るアナウンサーがいました。こういった人たちが「役に立つ」ということを煽るのでしょう。そして実際に役に立つのかどうか、理解せずに雰囲気だけで報道してしまい、若者が影響されるのでしょう。すべては積み重ねです。メディアも報じるなら積み重ねをすべて報道すべきでしょう。最前線の研究者の情熱こそが次への活力です。
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