日本の大学の来し方行く末
少し前に学歴ロンダリングに関するコラムを書きました。その後学歴詐称問題が出てきましたが、そこでやり玉にあげられた人は、無念だろうなぁと想像します。日本では、まだまだ学歴社会です。学歴フィルターという言葉もあります。だから、とりあえず大卒を目指す風潮が数十年も続くのだと思います。私は、学歴社会の最も良くない点は、学生個人が、自分の学歴の活かし方を学ぼうとしない点にあると思っています。まず大学の名前を重視して、それで自分の進路先を選び、合格を得ると、以降何もしなくなってしまう、というところが問題だと考えています。
私たちのような塾や予備校は、当然のことながら、学歴や学歴社会を否定しません。学歴が必要か不必要かと言えば、間違いなく必要だと思います。医師や看護師になるのに、学歴不問では、やはり困ると思います。最新の教育を受けて、一定の学問を修めた人が評価されること自体、何も問題はありません。
ただ、その学歴の使い方に問題があるのだと思います。確かに空気のようなものはあって、有名大学を出ていることは、人間の評価の一つになります。しかし、ほとんどの人は学歴で人間性がはかれるとはかんがえていないこともまた事実です。私の大学の同期が、京都の老舗の人事をしていますが、学歴で選ぶことはまずない、と言っています。またいわゆる大手企業の人事の友人も同じことを言います。ただ、結果論と確率論として、いわゆる有名大学出身者が多いことは否定しないとも言っていました。
日本における学歴社会とは、「最終学歴」を意味します。海外における学歴は「アカデミックレコード」ですので、どんな経歴かを意味します。この違いは意外と大きいと思います。海外の人も有名大学に行くことに意味を求めている人はたくさんいます。しかし、たくさんの大学を経験する人も多く、ダブルマスターくらいは珍しくありません。私の友人は弁護士、旧試験の合格者ですが、ニューヨークでも弁護士資格をとり、別の学校でMBAもとりました。日本では京大出身です。彼は最終学歴を京大と言いますが、あまりこだわりはなく、どこで何を学んだかを重視するとも言っています。要は出身がどこであるかは、あまり重要ではなく、それぞれの大学で何を学んで、何を身につけ、今何ができて、資格をどう活かすかが重要なのです。立派な名前の大学を出ても、出ただけでは、あまり意味をなさないということです。
学歴とは、最終的にどこの大学を出たか、ではなく、全てのアカデミックレコードのそれぞれで、何を身につけたか、です。
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