想像力と教養

井上博文

井上博文

テーマ:大学院に行くメリット

元プロ野球選手や大物アーティストが違法薬物で逮捕されるという事件が続きます。これらの人物が与えた多方面への不利益は、本人の想像をはるかに超えるものであったことを、遠からず理解することになるのでしょう。少し想像力があればこんなことにならなかったと思うのですが・・・でも想像力がないからこそ余計に、「自分は罠にはめられた」「自分だけじゃない」「何が悪い」と、嘘をついて他人を誹謗中傷する人のような開き直りをして、反省さえないかもしれません。

今自分が何を発言しているか?今自分が発言したことがどこにどう影響するか?今自分が発言したことで、想像もしていなかった人を傷つけることはないか?今自分が発言したことをどんな意味で理解されるか?ツイッターやブログなど、SNSでそれを書いたら、どうなるか?

ちょっと考えればわかるんじゃないのか?というのが、一般的見解と思うのですが、社会的に認められた人が、こういった行為に及んでしまうのはあまりにも残念です。では、一線を越えてしまう人と、そうでない人の違いはどこにあるかというと、私は教養ではないかと思います。かつてKKコンビと言われた二人は、高校から野球の才能を発揮し、プロでも十分な活躍をしました。でも、引退後は、かたや、大学院に進み、東大のコーチなども務めた、人格者のようになっています。しかし、かたや、逮捕されて刑事事件として扱われ、場合によっては有罪判決を受けることになります。途中までは、外見にはほとんど変わりません。しかし、長い年月をかけて、教養を身につけた方とそうでない方の差は、かなり大きいと言わざるを得ません。

ちょっと想像力があればわかるだろうと思っても、意外にそうはならないものです。自分の今の立場が何であるか?その立場に沿った発言をしているか?自分の発言は自分個人の問題ではなくて、その背後にある所属や職場の発言として受け取られるということくらい、一見して子どもでもわかる話だと思うのですが・・そうでもないようです。
小学生の時から、例えば買い食いしてたら、先生から「あなたの行動は●●小学校の生徒として見られるのよ!」と私も叱られたことがあります。子どものころはそんなこと知るか!と反発しましたが、大人になると理解できます。今、私もそういう目で学生を見るからです。

かつて大江健三郎氏が、想像力は文学で鍛えることができるということを、新聞で書いておられたのを読んだことがありますが、私も学生の時以来、文化文物を見て、深く考えることで想像力が鍛えられると、師匠から教えられてきました。この年代になると、本当に教養(=culture文化)が重要であることを実感します。例えば仏像を見て、それが作られた時代背景、そこに込められた願い、それを作った人の情熱に触れることができるようになるだけで、数百年前、あるいは千年以上前の人とコミュニケーションがとれるわけです。そんな想像力を得た人間でないと他人の痛みはわからないと思います。
これは偏差値では測れない力の典型でしょう。若い人は手遅れにならないうちに鍛える必要があるし、私たち指導者も、もっと想像力を鍛える教育を提供していかねばならないと思います。


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井上博文(塾講師)

株式会社コムニタス

塾長以下、スタッフが、全ての生徒の状態を正確に把握している。生徒をよく観察し、成長度合、どのような不安や悩みを抱えているか、をしっかりと観察し、スタッフ間で情報共有をしている。

井上博文プロは京都新聞が厳正なる審査をした登録専門家です

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