ブランディング?
懐徳堂という江戸時代中期に大坂の商人たちが設立した学問所がかつてありました。私が、京都コムニタスを立ち上げる際に、参考にするために勉強した私塾はたくさんあるのですが(例えば鎌倉アカデミアでさえも)、その中でもかなり注目した塾です。京都コムニタスは予備校を名乗らず、塾を名乗っているのは、モチーフがかつて存在した私塾にあるからです。懐徳堂以外にも、適塾や松下村塾、心学塾などかつて、この国とりわけ大阪周辺にはこういった塾がたくさんあったのです。これは公教育とは異なって、それぞれの志を持った塾でした。もちろん、自由闊達な学風であることが前提で、そこから、これまで考えられなかったような学説が生まれたことも数知れずです。
私がコムニタスと名付けたのはこのコラムを参照いただきたいのですが、仏教発足時のブッダを含む6人のグループをイメージしたものです(当塾は3人でしたのでサンガにもなれませんでしたが)。もちろん、名は体を表しますので、そこに理念を含んでいることは間違いありません。しかし、理念を構築するには、もっと多様な情報が必要でした。そんなこんなで、東京にもいくつか取材に行きましたが、とりわけ大阪に私塾が多いということを知り、いくつか取材しました。私がその中でも最も注目したのが、やはり仏教絡みで(他に知りませんでしたので)、懐徳堂だったのです。なぜ懐徳堂が仏教絡みかと言うと、天才、富永仲基(とみなが なかもと)を生んだとされるからです。富永仲基とは、江戸時代の学者で、1715年から1746年の32年という短い生涯で、様々な思想史研究を行いました。私たち仏教屋の中でこの人物は、とりわけ有名です。その理由は、彼が主張した「大乗仏教非仏説」が、当時としては、あまりにもエキセントリックだったようで、仏教界から排斥を受けたという説もあるくらいです。彼の説は『出定後語』(しゅつじょうこうご)という書物にまとめられましたが、これは彼が亡くなる前年に出されました。もっと長寿であれば・・というたらればを言いたくなる人物の一人です。大乗仏教非仏説とは、法華経、般若経など、いわゆる大乗仏教の経典はシャカの直説ではなく、後世の産物だとする主張です。今でこそ、大乗経典がシャカの直説であると考える学者はそうはいませんが、つい最近までいたといえばいました。なぜそうなったかというと、イギリスのインド植民地時代に、いわゆるインド学が発展しましたが、それが最終的に日本に(逆)輸入され、日本にも近代合理主義的仏教学が導入されたことによって、徐々に皆が、大乗仏教シャカ直説説を疑い始めたのです。それはインド語の仏典が日本に輸入され、高楠順次郎などそれを読める大学者が出てくることによって、人間(くさい)シャカがイメージされるようになってきます。これは明治以降、昭和初期の話です。つまり富永は、それをさかのぼること100年以上前に、インド語情報のないこの国にあって、「加上説」という説を考えることによって、超がつく先見性を示していたのです。時代が追いつけなかった典型です。
長くなりましたが、懐徳堂はそんな人物を生み出した、官も認めた私塾だったのです。京都コムニタスもこんな人物を輩出できるようになりたいと考えて、様々な面で参考にさせてもらいました。富永のような、時代の常識にとらわれず、科学的に、理性的に学問をする人物を生み出せたら、何よりの喜びです。懐徳堂については、またいずれ詳しく書きたいと思っています。
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