面倒見のいい大学と大学生の学力
表題のような記事がありました。
こちら
記事はピケディ氏の推奨する本を紹介することを主としているようなのですが、題目がそのようになっており、目に留まりました。その一節
「全国大学生活協同組合連合会が2014年に行った調査では、4割以上の大学生が一日の読書時間がゼロだった」とのこと。どんな調査をしたのかが正直わかりません。仮にこれが事実だとすると、今の大学生は、4割以上が、自分が読書をしないことを堂々と主張していることになるのですが、いかがなものでしょう。もしそうなら、本を読まないこと自体よりも、それが当たり前であるかのように言えてしまうその風潮の方が気になります。本を読まない大学生自体は、私が学生の時もいくらでもいました。卒論の時に4年間の大学生活で初めて本を読んだと言い切った同期も数名いました。しかし、印象としては、それは少数派であったと思います。ただ、大学の先生は、ほぼ全員、推奨する書籍を紹介しますし、参考文献も挙げています。私も、大学の授業で毎回プリントを配布しますが、ここに必ず写真つきで参考文献を紹介しますし、そこには入れられないけれど、良書であれば、現物を講義中に見せます。必ず年間30冊以上の本を紹介するようにしています。これはいつの時代も変わっていないはずです。そうすると、時代が変わったのか、大学生の質が変わったのか、読書の在り方が変わったのか、何かが変わったはずですが、判然としないという印象です。しかし、どこの国であろうと、大学生の半分近くが本を読まないということを公言できてしまうのは、決して喜ばしい話ではないはずです。
しかし、京都コムニタスの塾生を見た場合、本を読まないと言い切る学生は滅多なことではいません。歴史上、ゼロではなかったというレベルです。だから、誰がそう言ったかは、私も覚えているくらいです。それでもその人は、塾にいる間にかなりの論文を読んで、今は臨床心理士として活躍しています。だから、読む人は読むし、読まない人は全く読まないという、ここも格差社会になっているのではないかと推察します。実際、大学の授業でもアンケートを取ると、私が参考文献を毎回紹介することに関して、わざわざ肯定的に書いてくれる人も少なからずいますし、紹介されたものは全部読んだから、もっと紹介してほしいと、個別に聞きにくる学生もいるのです。一方で、一冊も関心を持たれない場合の方が確率としては高く、こう考えると、L型やG型大学を必ずしも否定できなくなるのかなぁと、少し残念な気持ちにもなるのですが、変わらず、私はこれには賛同しません。
京都コムニタスの塾生で見た場合、そもそも本を読む人が多いですので、常にだれかに何かの本を貸しています。私自身は、子どものときから本を読むのは好きでしたので、かなりの数を読んでは来ました。また、大学院生時代、研究室の中枢の仕事をして(させられて)おり、図書館に入れる本の発注をしていました。過去100年近く積み重ねのある図書館にない本を探すのはなかなか難しく、新刊だけではもったいないので、海外の本を問い合わせたりしつつ、本自体の勉強をしました。当時は職人と言える司書もおられ、忙しい中、何時間も仏教書について熱く語り合ったこともあります。
その意味で、院生になると、片っ端から本を読んだ学部時代と違って、質を考えたり、その本の歴史や著者について考えたり、貴重書に触れたりと、本に関する知識はいまだに私の財産になっています。電子書籍の時代ではありますが、電子であろうが、紙であろうが、本に関連する知識は同じことです。これを増やすには、大学院に行くのが最も合理的な方法だと、私自身の経験則ですが、そう思っています。それだけでも大学院に行く価値は十分にあります。
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